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夕闇のトゼン草
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TPPについての私見
最近TPPが騒がれてるけど、どうもメリットも、そしてデメリットも見えてこない。TPPが締結されたとしても一般的な国民の生活は大して変わらないんじゃないかなあ、というのが正直なところ。

まず、よく農業分野が指摘されてるけど、これはFTA問題のときと同じで納得しがたい。日本の農業分野に関する関税は既にほとんど低率になっている。唯一の例外は米だけど、1993年の冷夏によるタイ米騒動を考えれば、米の関税が下がったところ(下がるどころか0になったとしても)米農家が大打撃を受けるとは思えないんだよね。

カルフォルニア米がジャポニカ米に特化する可能性は無いとは言わないけど、世界的に見て圧倒的に需要のあるインディカ米や、他の農産物の割を食ってまで日本への需要のためだけに特化(それも日本の米需要を占拠するほど)するかといえば、素人目にはそう思えない。

確かタイとFTAを結んだときも、ネックになったのは農産物ではなく自動車の方だったように記憶している。というわけで農産物価格に大打撃が加えられるという懸念については低いと思うし、ゆえにTPPが農業に与える影響というのも限定的だと考える。

それ以外では中野剛志氏や三橋貴明氏が指摘しているものに制度そのものを変えること(アメリカナイズする)ってのがある。確かにこれは反感をもちたくなる。

例えば反対派である三橋氏は、アメリカの自動車業界の思惑を挙げ、「日本の構造(社会制度システム)を変えようとしている」と指摘している(かつ、ここでいう社会制度システムを「法律」と呼んでいる)。中野氏も米韓FTAを挙げ自動車関連の制度押し付けを挙げている。

だけど、どう法律(制度)を変えたらアメリカの自動車が売れるようになるのだろうか?関税が無くなろうとアメリカ国内でさえ信頼の高い日本車を抑えてアメ車を日本人に買わせるというのはかなり難易度が高いと思うのだが。考えられるのは、自動車税だ。実際、中野氏は米韓FTAにおける排ガス規制をアメリカの基準に合わせることを挙げてTPPを批判している。確かに排気量が無駄に高いアメ車はその分だけ税がかかるのだから、自動車税が軽くなればアメ車が売れる余地が生まれるかもしれない。しかし、国内でさえ悪名高い(笑)自動車税(+重量税)が軽減されれば、それは日本車にとっても(それ以上に日本人にとって)メリットだろう。まさかアメ車だけの特例措置で日本車は変わらず従来の自動車税が適応されるとかなら話は変わってくるし、まさに幕末の不平等条約を思い起こさせるが、常識的に考えてありえないだろう。

アメリカの目的は雇用問題の解決で、工場を建てて雇用を増やすことだって意見もよく見るけど、大規模化して価格を落としやすい農業や賃金メリットのある途上国ならともかく、工業分野においてほぼ同水準のアメリカが日本に対して大きなアドバンテージを得るなんていうのは非常に難しい。

残るのは投資などの金融関係(資本移動)だけど、これは正直何がベストなのかよくわからない。経済をどこまで自由にさせるべきかは人によって変わるからね。ただ、強いて言えば未だに三角合併をアメリカの陰謀とか言ってるのを見るとなんだかなあと思う(ってか、制度の押し付け批判見ると、三角合併が騒がれていた頃と似てると思う)。まあ、TPP賛成派ですら資本移動には一定の懸念を抱いているのだから、おかしな反対派がいたとしても無視できない点ではある。

まあ、こんな感じで反対派が挙げられている具体的な部分について疑問が浮かぶのだけど、それ以上に反対派の意見のほとんどは「アメリカが得をする」という点を持って批判しているように見える。というか、反対派の意見調べようと思ってもネットでひっかかるのほとんどアメリカが国内問題解決するためにTPP推進してる(だからTPP反対)っていう話だけなんだよね。別にそれを否定するつもりはないけど、アメリカが得をしたからって、その分、あるいはそれ以上に日本が損をするわけじゃないでしょ。ゼロサムゲームじゃないんだから。先の自動車の話にしても、仮に排気量に基づく自動車税がアメリカナイズされたとしても、それは日本車や日本人にとっても利益なのだ。

こんな感じで反対派の意見を批判してみたけど、じゃあ賛成派の意見が肯定できるかといえば、最初にメリットが見えないといったようにそれも難しい。結局、グローバル化だの、米韓FTAを見習えなど、具体的な絵が見えない(まさに反対派が指摘していることだけど)。なんかここのところマスメディアが一斉に肯定に回ったみたいだけど、アメリカナイズに制度改革されたら不利になるのって間違いなくメディアの方だと思うんだけどなあ。

自分は基本自由貿易マンセーだから、その点ではTPPには賛成なのだけど、唯一人の移動については制限した方が良いと思ってる。これは移民問題に繋がると思うので。

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テーマ:TPP - ジャンル:政治・経済

若者離れを分析する人たちを分析してみる
■記者「若者はなぜモノを買わないのか?」 精神科医「統合失調症の傾向持つ人が増えたから」  痛いニュース(ノ∀`)
いよいよ病気扱いか。
なんだろう、こうバブル期と現代を比べて若者離れとか、病気扱いする人たちを研究した方が面白いと思うんだよなあ。

まあ、このセンセイに限らず、精神科医の言う、あるいは新しく作り出す病気ほど胡散臭い物はない。胡散臭いつうか、こじ付けが酷いせいで、同じ原因から、真逆の結論が出せてしまったり。今回なら、「主体性が無くブームに流れやすいから物を買わない」って、「主体性が無くブームに流れやすいからいらない物を買ってた世代」に言われてもなあと。そこに違いは無い。ってことは、これは原因として挙げるには間違いというわけだ。

まあ、おそらくは「バブル期は自己実現のために自分に投資した云々」から、自分達は主体性があったとか何かそういう前提に基づいて構築したんだろうなあ。

一般にこの手の分析は、「(若者は)自分だけが高級品を持つことを忌避する」が前提となっていて(ついでに「高級品を持つことが主体性を持つこと」だと思い込んでる)、今回の分析も「自分だけ高級品を持つことが同調圧力に耐えられない」云々と結論付けられてるけど、そもそもそれは正しいのだろうか。

むしろ、これまでは「高級品を持たないと主体性が持てない(あるいは持ってると認められない)」という社会の同調圧力があったんじゃないか。というか、この手の分析をする(おそらく)バブルを経験した人たちは、そういう認識を持ってるように見える(だから、高級品を買わない若者は自己実現をしようとしてないと見て、トンチンカンな分析を行う)。

高級品を選ばないと自己実現はできないのだろうか、高級品を買わないことは向上心が無いことだろうか、そういう常識自体が、バブル期と現在の若者の差だと考える。こういう社会常識があったり、情報が共有化されていない時代においては、マスメディアはブームを作り出すことができて、その1つとして物を買わすことができたわけだ(そういえば、今日の平成教育予備校で「限界集落」と並べて広告代理店が作り出した言葉「イクメン」を流行らそうと頑張っていたなあ)。

情報が共有化された時代においては、まずマスメディアが主導するようなブームは起こりにくくなる。そして実体の無い社会常識は容易く壊されるから、「高級品を無理に買う必要は無いんだ」という認識が共有されてユニクロなどが利用されるようになったんじゃないかなと私は思う。だから、同調圧力によって高い物を買わないのではなく、今までが同調圧力によって高い物(それでいて必要の無い物)を買わされていたんじゃないかなと思う。無理して必要の無い高い物を買うことは冷静な頭で考えれば、ありえないからだ。それが常識とブームという外部からの圧力によって今までは可能となっていたと。

とまあ、色々と考えて見たけど、要は価値観が変異しただけの話で、若者離れを分析する人たちは自分達の価値観・常識を絶対視して見るから、分析がおかしくなるってだけの単純な話を難しく考えてみただけか。
石原銀行に関する私見
そういえば石原銀行はどうなったのだろう。

私は、石原銀行の目的は、中小企業に対する銀行の貸し渋り対策だと思ってたし、実際にそうだった。
この石原銀行の構想自体は、おそらく都知事になるよりも前(もしくはなった直後)にあったと思う。石原銀行を作るために都知事になったとは言わないが(公約の1つではあったが)。

リーマンショック以降、決算期に見られたのに黒字倒産がある。貸し渋りによって起こる典型的な弊害の1つ。
例え、健全であっても、つなぎ融資が受けれないばかりに、黒字にも関わらず倒産してしまう。そのような物を防ぐために、貸し渋りに対処しなくてはならない。

石原銀行は金利が高いと非難されたけど、上記が目的だったと考えれば当たり前の話で、金利が高いってことは、すぐに返さないと不味い融資という意味であって、設備投資ではなく、あくまで「つなぎ」に限定させる意味を持つ。

じゃあ、そんな中小企業のために石原銀行が何で失敗したのかというと、それは既にその目的が消失していたこと。
つまり、石原銀行が作られた時(いざなみ景気)には、既に小泉政権によって銀行の不良債権処理が進み、構想が生まれたであろう時期(失われた10年の間)とは、状況が全く変わっていた。だから、本来、ターゲットだった中小企業の経営者たちにすら「いらない」と言われる始末に陥った。で、2008年4月をもって原則廃止。

だから、まあ、結局は時期が悪かったとしか言いようがない。

だけど、先にリーマンショック以降で黒字倒産が~ と言ったように、今再び不景気の波がきてる。今こそ、石原銀行の本来の目的を果たすことができる時期だと思うんだが、、

ニセ科学に関する私見2
前回の続き
大衆にとっては、結果が正しいかどうかが重要だと述べたけど、これは正しくない。正確には目的が達成できるかどうかが重要となる。
基本的に結果と目的は同一視される。まあ、目的のために結果を出すんだから、結果が意に沿わない物で無い限りは、同一になるのは当たり前だけど。
例えば、通勤や旅行と言う目的のために、車が動くという結果を欲するとか、まあ、結局、それ自体が手段だから、手段の手段に過ぎないシロモノは余計に軽視される。

ゆえに、ニセ化学を信仰する者は、科学的におかしいと非難されると「信じている人間の勝手だ」とのたまう。
例えば、水からの伝言なら、それが道徳教育目的として使われるのであるならば、それで本人達は肯定化してしまう。重要なのは道徳教育が出来るか否かであって、科学的な裏付けじゃないから。
ゲーム脳も、ゲームを批判できるかできないかが重要であって、科学的な裏づけは一番の目的ではない。
だから、信仰者に対して「科学じゃない」と批判しても、何の意味も無い。見た目は、科学的な何か(「波動」とか「イオン」とか)みたいな、オカルト的ではない、何かそういう方向を指していればいいだけ。目的が正しければ手段も正しいと言う典型的な本末転倒。

なので、もし批判するとするならば、その目的に沿わないことを徹底的に詰めるべきだと考える。例えば「それはゲーム批判の根拠足りえない」と。
まあ、普通ならば、その過程・理由を批判した時点で結論・結果も否定されるはずだが、本人たちはそこまで知恵が回らない。だから、繰り返し「それはお前の目的に沿わない」と指摘してやる方が効果的ではないかと考える。

だけれども、これは目的の種類によっては使えない。例えば、美容関係やゲルマニウム辺りは、本人が健康になった、満足したと言えば、それを否定できない。さすがに「お前は本当は健康になってない」なんて指摘したら、そっちが非科学的だし。

ゆえに、純科学的な見地から、ニセ科学批判をやっても、信じている本人達にはさほど効果が無い。当然、悪徳商法のように意図してそれをやっているなら、なおさら意味が無い。

結局は宗教対策やら何やらと同じで、感染拡大を極力封じ込めていくのがニセ科学批判の目標となる。その上で重要なのは、やはり権威だと考える。
前回述べたように、人はその判断材料において「権威」を用いている。「科学(的な何か)」という権威を相手が装っているなら、本物の科学の権威によってこれを妥当すれば良い。いくら科学的な何かで説明しようが、科学者が非難しているとなれば、そんなのに意味は無い。
もっとも、これはニセ科学側もやっていることで、聞いたことも無い所とは言え、○○大学とか○○研究所の教授とかの肩書きを使ってくる。
同じ土俵であるなら、より強いカードを切る。例えば、ノーベル賞受賞とか、あるいは、でんじろう先生辺りが「何の根拠も無いよ」と言ってくれれば、それでかなりの効果が望めるのでは無いか?

結論として、ニセ科学を根絶するには、1つに科学者たちの社会寄与が重要になってくると考える。特に有名な者である程良い。私自身は、科学者が社会に貢献しなければならないと言う意見はあまり好かないから、複雑なところだが。

まあ、日本が米国みたいな訴訟大国なら、悪徳商法の類は淘汰され、ニセ科学はある程度に封じ込められるのだろうけどね。訴訟大国ってのは、それはそれで世知辛い社会だけど。
ニセ科学に関する私見1
ニセ科学が流行る一番の理由は「何故そうなのか?」と考えないこと。まあ、当たり前の話で、何故そうなのかと考えないから、ちょっと考えれば怪しいとわかることを信じてしまう。このプロセスは何ら珍しいことは言うまでもなく、教祖の教えだろうが、指導者の言葉だろうが、マスメディアの情報だろうが、社会に溢れている。だから、まあ、ことさらに特殊な例というわけじゃあない。

では「何故そうなのか?」と言う思考を放棄してそのような情報を信じる輩は、健全な思考を放棄した馬鹿者、愚か者か?と断じるかといえば、そんな人間は自分を含め、今の地球上に60億人以上はいるだろう。つまり、これは人間としてごくごく自然の行為である。

これまた当たり前の話で、一々「何故そうなのか?」なんて考えることは不毛である。
普通は「何で電線は高圧なのか?」なんて考えないし、「ステンレスは何故錆びないのか?」と考察しない。まして、リンゴが落ちるのを見て、それを疑問に持ち「引っ張られているんだ!」と着想する奴なんてまずいない。一々、目に入る全ての事象の、その意味を考察していたら何もできないし、そんな人間がいたら、まず社会不適合者として、最悪の場合は精神病院で一生を終える。


科学者や科学的なモノに携わる者にとっては科学とは真理やそれを応用した技術だが、大衆にとって科学とは生活を便利にするための現象に過ぎない。大衆にとって重要なのは望む結果であって、それを支える過程に過ぎない科学的意味は気にされない。ゆえに結果が手に入りさえすれば「何故そうなのか?」なんて考える意味は無い上に、単なる時間の無駄となるわけだ。

しかし、結果のみが評価され、過程が一切考慮されないとすれば、そもそも科学と言う裏付けすら必要とされないこととなり、ニセ科学は存在しないはずである。でも、そんなことはない。

人は説明のつかないことに必ず理由付けや意味付けをしようとする。例えば、昔はおかしなことや不思議なことがあれば、神の所業やお化けの仕業、祟りで片付いた。例えばにわか雨が振るのは狐の嫁入り、いつの間にか切り傷があるのはかまいたちの仕業、不幸なことが続けば神の与えた試練。民俗学的に言うなら、不可解な現象に理由付け、意味付けをすることによって「未知」という恐れを希釈する(ツポビラウスキー症候群!)。

現代においてもそうで、人はある物事や現象に対して完全無防備で信頼しているわけではなく、必ず何か信頼するための指標を持っている。それが科学である。しかし、最初に述べたように一々検証することは不毛である。だから、本来考えの前提でしかない「科学"的"」であれば、それ以上踏み込んで検証しないで認めてしまう。指標ではなく権威と置き換えてもいい。正しさを担保する手段として権威を利用する。教祖でも指導者でも新聞でも、そして科学でも、それに一定の権威を認めているから、「何故そうなのか?」を考えなくても恐れることなく受け入れることができる。

無論、本来、是非の判定にとっては受動的に過ぎないはずの「権威」が、能動的に悪用される恐れがあるなんて一々言うまでのことじゃない。自身の主張の(見かけの)正当性を高めるための権威付けに「科学」が使われるような事態へと発展することもあるわけで(ソーカル事件が好例)、まあ、それがニセ科学が発生する理由だと考える。最初に言ったように何ら珍しいプロセスじゃない、ごくごく当たり前の話だが。

そもそも科学ってのは科学的手法と言う適切なプロセスを経た事柄を指すわけで、そのプロセスを経ない時点でそれは科学じゃない。回り道して色々小難しいこと考えてみたけど、結局これに帰結するのは何とも。

権威の利用なり、悪用なり、科学の定義なり、何なり、結局、ニセ科学ってどこから切っても、ごくごく当たり前のこと。



科学とは、大衆にとって説明その物ではなく、説明付けの一指標に過ぎない物である。指標だから、その成否の判定は向きさえ整っていれば良く、それが神や魔法と言った方向を指しているかどうかしか判定しない。向きが神や魔法だったら、野蛮だ土人だと馬鹿にし、科学だったら文明だ理知だと尊ぶ。
神や魔法が信憑性の指標となっていた時代ならば、魔法や妖精が原因とすれば納得し、それがどんな意味があるのかわからなくても、雨が降れば雨乞いという過程は正しかったということになる。現代においては科学を指していたら信じる。それが電気や機械で動いていると知れば納得し、それがどんな意味があるのかわからなくても、車が動けばエンジンという過程は正しかったということになる。

そういう意味では人の認識、思考法の根底は、神を信じていた時代から何も変わっていない。俗に科学の信仰と揶揄されるのと同じこと。ゆえにニセ科学が根絶されることは無いだろうな。

続き
派遣村の問題点
前の「いまさら派遣村に関して色々と」の続きというか補足というか。

まず、先に断っておけば、前にも述べた通り派遣村にはメリットもあった。だけど、私はこれを全て台無しするくらいのデメリットがあったから派遣村は非難されてしかるべきだと考える。それを今回は述べたい。

で、その前にまずテレビでやっていた派遣村特集で出ていた男性の話をしたい。
この男性は、なんと静岡から歩いてやってきた。彼は派遣村のことを知って野宿をしながら歩いて日比谷公園まで来たそうだ。冬の寒空を満足な食事・休息無しに歩いてきたのだから、当然のこと足はボロボロ。それを待機していたボランティアの医療スタッフが無償で治療し、久しぶりの暖かい食事と合わせて男性は感謝の言葉を述べた。

まあ、少なくとも今回の派遣村を肯定的に捉える人たちは、美談だと思うだろう。例え500人中350人が派遣切りとは関係無いホームレスだったとしても(苦笑)、こういうことがあるから派遣村は重要だったと。

だけど、こんなものはむしろ派遣村の一番の問題点をよく現してる。

彼の足がボロボロになったのは誰のせいだ?
彼を切った企業のせいか?もしくは彼を見捨てた派遣会社のせいか?そもそも彼を助けない政府のせいか?あるいは彼を自業自得と非難する国民のせいか?それとも彼自身のせいか?
もちろん違う。派遣村のせいだ。

私の知る限り横浜でも炊き出しはあった。大きな都市では必ずあっただろうから、静岡県内なら静岡市や沼津市でもあったと予想する。なのに、彼はわざわざこれらを素通りして東京くんだりまでやってきた?なんで?それは派遣村しか知らなかったからだ。これが問題なんだ。

結局、派遣村のしたことは、他の炊き出しや支援活動といった物を曇らせてしまったことだ。それこそ10年以上前から続けているような物さえだ。
そもそもとして、今回、特に問題となったのは製造業での派遣だ。そしてこれらは都市部ではなく地方なんだ。実際の話、そういう工場があった地域でだって炊き出しや支援活動は行われた。しかし、これらはほとんど報じられることなく、「派遣村」のみが報じられる。そして、ここに人と金が集まる。何でも、村民1人に対し3人のボランティアが付いたそうじゃあないか。それだけの人と金が他の活動にも回されていたらどれだけ有意義なことだったか。東京のど真ん中で、ましてあからさまに厚労省を狙った場所でやる時点でなおのこと、その正当性はゆらぐ。

赤旗には美談感覚で、党事務所に「派遣村はどこですか?」なんて電話がかかってきたと載ったが、これだって端的に言えば直接関係の無い第三者を煩わせる結果を生み出したという話だ。

もっとも、これで一番に非難されるべきは、「派遣村」よりもマスコミだろう。結局のところ、「派遣村」にスポットを当てたのはマスコミだからね。と言いつつ、残念なことに主催者サイドは政治活動をするべくこれを大きく広げてしまっているからやっぱ「派遣村」の問題は追及されて然るべきか。


あと、政治活動とは関係なく、人を救うことが正しいんだと、動機関係を無視するところもあるが、そりゃ口だけの右翼と対比させれば正しいのかもしれないが、結果行為を肯定する材料にはならない。

前にも述べたように、徒然草から来ている「しない善よりする偽善」というのは、「動機の是非は行動の是非を決めない」ということであって、実際の行動の是非が問われている場合には、これは全く的外れ。当人たちが「偽善で結構」と言っていたこともあるんだろうが、これは偽善ではなくて「善意の押し売り」という言葉の方がむしろ正しい。

確か新潟の震災の時の話だったと思う。この時は各地からボランティアがやってきて、また、各地から救援物資が届いた。
しかし、何の考えもなしにやってきたボランティアが一極集中した結果、下手したらその地区の被災者より多い人数のボランティアがいたり、する仕事が無いからただいるだけというような無意味なボランティアが現われた。しかも、食事はともかく排泄はするから、ただでさえ被災地ではトイレ問題が深刻化するから、当然、問題になった。
また、各地から届いた救援物資も、企業がまとめて送った物なら良かったが、一個人が自主的に送った物は問題が多すぎた。使用済、単なるゴミの押し付けは論外だとしても、おそらく本心からの善意なんだろうなという物でさえ、それを仕分けする必要があるがために、他にもっと重要な仕事があるいにも関わらず、仕分けに人手と時間を割かれる事態となった。

偽善なら結構。気持ちの問題だからね。現実には何も及ぼさない。
しかし、実際に行動に問題があるとき、それは例え本心からの正真正銘の誠意・善意であったとしても、何の意味も無い。なまじ自分の行動原理は正しいと思っている分、むしろ性質が悪い。


全体的に見て、今回の派遣村を肯定的に見る人は、必ずと言っても良いほど、「少なくても救えた人がいた」「これが有名になることで社会に問うきっかけになれた」と言う。こんなものは偽善じゃなくて欺瞞だ。私がこの手の理想論者を嫌う一番のところだ。
端から、全員救うつもりが無く、むしろ犠牲にして少数を救うと言うなら構わないが、そうじゃない。救ってないくせに、救った(救うことになる)と思い込み、これを称える。そして一番の悲劇は、先の歩いた男性のように被害者にも関わらず自覚が無いことだ。ゆえに意識が増長する。その実態は、派遣を切った企業(派遣を切って正社員を救う)と何もかわらないくせに。

もうむしろ素晴らしいね。売春や麻薬を被害者無き犯罪と呼ぶが、そんな物は目じゃないね。実際に被害者がいるのに被害を受けた当人がむしろ感謝する。素晴らしいシステムだ。馬鹿を騙すのにこれほど打ってつけなのも無いよ。いったい怪しい新興宗教と何が違うのかわからんけど。

もちろん、彼らのような政治運動を主体とするような人たちも社会には必要なのだろう。例え彼らが国権を握ることになったら嫌でも、その意見は社会への牽制材料として十二分に機能する。でも、それは同じく自己責任論が自助努力の大切さを訴えているという点で同じこと。

まあ結局のところ、コインの裏表。どちらにもそれなりに存在意義がある。対立することを含めて。


補足:
前に散々述べたように、「派遣村」に対する非難と「派遣切りされた労働者」に対する非難は違う。また、「派遣村」に対する非難と「派遣切り労働者を救うこと」に対する非難も違う。

もし「派遣村を否定する人たち」を否定する人たちの言い分が正しいとするのであれば、派遣村を否定する人たちは、派遣村だけではなく、他の炊き出しもハローワークの延長や講堂開放などの政府の処置も非難しているはずである。でもそんな話は寡聞にして知らない。

この辺りは前に「自己責任論とは何か」で述べたとおり、論者と否定派には、深い深い乖離があるから互いに意思疎通なんかされないだろうけどね。

テーマ:派遣労働 - ジャンル:政治・経済

自己責任論とは何か
先月の初めに書いた「蟹工船についてグダグダと」の後半で述べた自己責任論について改めて書いてみたいと思う。

まず先に言えば自己責任論は責任論ではない
もし、責任論とするなら、自己責任においてそれを解決するのは(すべきなのは)自己しかいないのだから、これを救済しようとする人たちにも非難が行く。情けは人のためならずの誤用というところか。
ところが、実際に今回の派遣問題にしても、彼らを罵倒することはあっても、彼らを救おうとすること自体に非難がいったという話は知らない(「派遣村」は別だが)。それこそ、行政が異例のハローワーク延長や公共物の貸与を行なったら、税金の無駄だと非難されるはずである。もちろん、そういう人が皆無だったとは言わないが、流れを形成するほどにはいない。

自己責任と言う言葉が(特にネット上で)大きく出てきたのは、イラクの3バカ誘拐事件においてだが、この時、別に誘拐された時点においては自己責任論はあまり聞かれなかった。この件で自己責任論が大きくなるのは、日本政府の働きなどによって無事に解放された後に、3バカたちが感謝するどころか誘拐された原因を日本政府に求めたからだ。折からの家族の言動もあっただろう。

もし本当に自己責任なる責任があって、多くの日本人(まあ、特にネット世論)が常にそれを責めるべきだと考えているのであれば、この後にも邦人誘拐(中には殺害された場合もあったが)などがあったが、その場合にほとんど自己責任論は出てきてない。自業自得という言葉こそ多かったが。

では、自己責任論とは何なのか?

今回の「派遣村」にしろ、昔のイラクの3馬鹿にしろ、自己責任論が出てきたのは、いずれも当人達が他者(政府、社会)のせいにした時だ。かつ、その原因の一端は確実に当人にも問題があった場合だ。

つまり、自己責任論というのは自己が原因によって生じた結果の責任は自己が負担すべきだ(「個人は自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う」)、という意味ではなく、「他者(社会)に原因を求める前にまず自分に原因が無かったかを考えろ」という論拠であって、罵倒語、レッテルに近い。ただ単なる罵倒語やレッテルと違うのは、実際にその指摘が往々にして事実ってことだ。自業自得なのは事実なのだから

ゆえに自己責任論者に「今のお前はどうなんだ?(昔のお前はどうだったんだ?)」とか「お前が同じ立場ならどうだ?」と言った言い返しは的外れになる。自己責任論の本質は、実際の責任の所在ではなく、「他者のせいにする前に自分に原因は無かったかと考えるべきだ」と思考過程に対する指摘なのだから。端的に言えば自己責任論者は、他者のせいにする前にまず自分に原因では無かったかと考え、自分に原因があると考えた場合に、それを他者のせいにすることは恥だと考える(実際にどうかは知らんけどね)。

だからこそ、自己に原因を求めず他者にのみ原因を求める輩(少なくともそう見える場合)は、自己責任論者にとっては、神経が図太く破廉恥で救いようの無い無礼者に見えてしまう。ただし、救いようの無いと思っても救いの手が差し伸べられること自体に非難はいかない。

もっとも、これは議論の縮小化の原因になったり(内に向けた時点で論点にならないから)、他者にも問題がある場合(他者か自己かどちらかのみに問題があるなんて例は少ないだろう)には大きなデメリットとなりうる。特に前者に関していえば自己責任論自体が出てこないわけだ。ただ、逆に自己責任論が跋扈する時には、再三言うように、事実として自業自得的な側面があるのだから自己責任論自体を否定することはできない。


3バカがしばらく経った後に、「自己責任」とか言う書籍を発行し、その中で相も変わらず「政府は助ける義務があるんだ」「だから俺は悪くない」と連呼しててウンザリしたことがあったが、これは実に悲劇だと思う。実際に政府には国民を守る義務があるのだから、政府の勧告を無視したどうしようも無い連中でも助ける必要はある。そこに自己責任という概念は関係無い。だから、この主張は確かに正しい。ところが、残念なことに自己責任論者は、政府の義務は否定してない。だって、最初にも言ったように自己責任という厳密な定義での意味なんて自己責任論には関係無いのだから。

その他者に原因を向ける行為こそが自己責任論への燃料であって、かえって自己責任論の非難をかわすどころか、自己責任論の指摘する問題を繰り返してるだけになってしまう。だから、分かり合えない。実に悲劇だ。

自己責任論者は、「自己責任」の語が持つ正しい意味をわかってない。自己責任論者に嫌悪感を示す連中は、自己責任論が指摘する意味を理解することができない。そして、その齟齬は、噛めば噛むほど広がっていくという再帰性を持つから手に負えない。

情けは人のためならずと同じで誤用がまかり通ってるのが問題なんだけど、さりとて、言い表すのに良い語があるわけでもなし。まあ、議論なんて9割方噛み合ってないんだから、何をいまさらだが。

今の対馬は危ないのかという考察
■【対馬が危ない】(上)韓国、不動産相次ぎ買収  産経ニュース
正直、私はそんなに危ない、それこそ日本の国防上の危機なんてほどは思って無い。

確かに韓国人が「独島領有を宣言する日本への対抗策ニダ!」「対馬は歴史的に韓国領ニダ!」なんて言ってるけど、これについてはもう3年前の記事で述べたように、単なる墓穴に過ぎず何ら憂慮する話じゃない。

確かに他にも、マナーの悪さで漁場をダメにする、住民の共同施設をダメにする、韓国領ニダ!って言って勝手に植物を持ち込んで生態系を狂わす、また、対馬を窓口に日本に不法入国とか自衛隊基地の隣に巣作りとか看過できる問題ではない。
が、これによって対馬の土地を買い占められるとか、人口比率が日本人<韓国人で著しく変化する(そして、対馬が韓国領になる)かって言うと、それは絶対に無いと思う。

結局のところ、近年の韓国の対馬に対する動きってのは、全部ウォン高が理由。
ウォン高で韓国で海外旅行ブームになって、日本、特に近場の対馬にやってくるのが多い。そういう観光客を狙って韓国資本が来て土地を買うが、それもまたウォン高だから、日本の土地を安く買い漁ろうという動きの一つ。というか、対馬に限らず、ここ最近のウォン高によって韓国人は海外不動産を買い漁ってる。

そして、これと似たような動きを私は知っている。20年前に他ならぬ日本人がやっていたことだからだ。

結局、日本のバブル経済の後追い。現状のこの手の反応は、三菱地所がロックフェラーセンタービル買って、アメリカの魂がどうのこうので反感持たれたのに似てるように見える。
そして、これらはバブル崩壊によって安く買い戻されたように、韓国経済の悪化によって収まると予想する。特に、土地を買った一番の理由が、韓国からの旅行客を当て込んでたわけだから、その旅行客が減る時点で立ち行かない。まして、あまりにも極端な通貨暴落で、為替に制限かけるって言ってるくらいだし(=それだけ観光に落ちる金も減る)。
さらに付け加えるならば、韓国の観光事業って言うのは、一つでも成功例があると勝ち馬になろうとワッと集まってきて、粗製乱造になる(韓国国内の話だと済州島とか、韓流ブーム関連の土地とか)。つまり、何らかの長期的展望があってやってくるんじゃなくて、単純に「対馬の土地買って、観光業やれば儲かるニダ」くらいの感覚の奴らが多い。当然、観光業が不振になればさっさと逃げ出す。

もし日本人がすべきことがあるとすれば、現在のウォン安局面、韓国経済の悪化を利用して、逃げ出す奴らから土地を安く買い叩き戻す。バブル崩壊後にアメリカ人がやったように。

関連して北九州とか、地域振興の一環で、韓国からの旅行客を増やそうとか何かやってる所もあるが(ウォンで買い物できますとか)、今すぐ止めた方が良い。ウォン安局面に入った時点で、あれはマナーが悪いだけの不味い餌に過ぎない。ただ、対馬もそうなんだけど、結局、そういうものに頼らざるを得ないほどに、地方は経済基盤が脆弱ってのが問題なんだよね。そこで少子化云々やら過疎化やらで工業が望めないとなれば、観光業に手を出すのは道理とも言える。別に韓国人観光客を抜きにしても失敗してる感が否めないけど。

なので今月発足した観光庁には期待してる。

まあ、観光事業の一環として海外旅行客で満たされるってのは悪いことでは無いと思うんですけどね。ハワイに関してアメリカ人が「日本人に乗っ取られる!」なんて騒いでたら馬鹿だと思うし(もっとも、韓国人と違って日本人はハワイの領有権を主張しているわけじゃないけど)。ただ、日本は外国人向けの観光事業という観念が欠落していたから、それによって起こりうる問題に対する対処法や、もっと言うなら法的な整備が遅れる。兎にも角にもすべきことは、日本版CIAないしMI6設立、およびスパイ防止法の制定。そんなことにならなくてもやるべき事案なのは言うまでも無く。

結論として、
・対馬が韓国領になってしまう!という心配は杞憂。むしろこれから韓国資本の逃亡が始まる
・目立った工業や産業が無い地方が観光業で地域活性化をはかろうとすることは仕方が無いこと。(特に都市部の)安全圏にいる人間が海外旅行客を入れるな!なんて言うのは無責任すぎる(例えそれが敵性国家の民族であっても)。
(だったら、さっさと金を送ればいいのだ グズグズ言わずに・・・・・・ ピシピシ送るべしっ・・・ ・・・!)
・どのみち日本は、特に地方において観光業を目指すしかない。幸いにして日本は観光資源は多い。問題は、それによって起こりうる諸問題に対する制度が整ってないこと。
2008年総裁戦あれこれ
民主党の総裁選はどうせ小沢一択だが、マスコミは盛り上げようとするんだろうなぁ。なんて思ってたら、北の湖理事長辞任で完全空気でコーヒー吹いた。

さて対する自民党の総裁選は、麻生さんの断トツだろうな。
世界的な景気後退局面なので、もう経済成長とかじゃなくて、いかに悪化を防ぐかが重要。それについて積極的な財政出動をせざるを得ないというのは理がある。短期的に国庫に負担をかけることが国民にどの程度まで理解を得られるかどうかは別の話だけれども(減税についても、どこに掛けるかで世論の反応も変わるし)。

石原氏は「小泉路線の継承者」と言うだけで何がしたいのかわからない。安倍さんの場合は、直近だったのと官房長官だったこともあって小泉路線を継承するとだけ言っても何がしたいのか見えたし、現に小泉政権がやり残したことを片付けてしまった。逆に言えば、安倍さんが片付けてしまったからこそ、今「小泉路線を継承する」とだけ言っても何の価値もない。そもそも小泉首相が支持されたのは、その政策論の具体性だったわけで、そこを見誤ってるとしか言いようがない。
小池氏は上記の論と合わせて女性という程度の価値しかなく、だいたい日本版サッチャーを名乗るのが図々し過ぎる。
一番政策論がまともなのが与謝野氏なのだが、党の顔にするには福田以上に弱すぎる。

意外だったのは、石破氏の立候補。津島派の関連でもともと総裁戦に出ろ出ろみたいなことは言われてたみたいだが。
ただ演説なんかをみると石破氏の狙いは、総裁になることではなく、総裁選を利用して、国民に、世論に広く国防意識の大切さを訴えるためなんじゃないかと思った。とにかく、国防意識の大切さを訴えてる。実際、今回の総裁戦(およびその後にくる総選挙)で内政よりも外交を争点にする利点はない。国民は皆内政に関心がある。たとえロシアが紛争を起こそうと、アフガンで邦人が殺されようと、国際情勢には無関心。

そんなことは当然、石破氏は承知のはずであり、なのに内政については語らない。これはもう総裁になりたいようには見えないんだよねぇ。あまりにも派閥内で石破氏を押す声があるから出て、ついでに広く国民に国防の大切さを知ってもらうという一石二鳥を狙ったのか何なのか。

その方が戦略的に正しいし、石破氏らしくもあるんですけどね。

まあ、どのみち政策論関係無しに麻生さんじゃないと今の民主党に勝てるほどに「党の顔」足りえないんですけどね。
それでも次の総選挙で議席を大幅に減らすのは目に見えてるから、与党で過半数取れるかどうかの戦い。杉村太蔵、佐藤ゆかりあたりは自民党に残って欲しいんだが、さてどうなるか。
しかし、単独過半数を取ってる今でもねじれ国会で運営が厳しいって言うのに、仮に与党が勝ったとしても、参議院が野党優勢のままなら何も変わらないような。やっぱり参議院は害悪でしかない。

対する民主党は失言が多いと麻生さんでも楽観視する向きが少なからずあるみたいだが、「人生いろいろ」と言った小泉首相が大したダメージを受けなかったことを忘れてるんだろうか。まして、積極的な財政出動は民主党も同じこと。比べられたら民主党の荒唐無稽さが露になるだけで、何のメリットもないんだけど。

それでも、一時的とは言え民主党政権ができちゃうんだろうなぁ。

これこそまさに村山政権の再来 神話の政党 55年体制の敗残兵「最後の社会党」

なんとなく、現状の民主党が政権を取ると関東大震災が起こるような、何の根拠も無いオカルトな感覚がある今日のこのごろ(こんなの私は信じてないどころか、自然災害を持ち出して自民批判した鳩山を馬鹿にしたくらいなのにな、、、)。

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この先の韓国経済の予想とメモ
■韓国、8年ぶり純債務国に転落へ  朝鮮日報
東亜板では、38スレも行ったスレ。珍しい。(正確には35なのかな)
まあ、いくつか理由はあったにせよ(最近、韓国経済スレが少ないからこれに集中したとか)、それだけ今までよりも重要な情報だったわけだ。

私は、韓国経済は短期外債の自転車操業、雪ダルマ式借金の果てにデフォルト(債務不履行)に陥って死ぬと予想してますが、(素人考えと言えど)その場合でやっぱり未だ2-3年は持つと思う。
外債のデフォルトといえば、同時期のロシア経済崩壊が思い浮かぶが、これも自転車操業でのダラダラとした延命が数年行われた果ての結果だった。
短期外債の乱発は死に行く決定打となり得るが、それ自体が延命措置である以上、死期が先送られるのは致し方ない。2chの東亜や見取るスレ始め、ネットの大方の見方に反すけれども。その分、10年前とは比較にならない程のどん底を味わうことになるんだろうけど(10年前はあくまで「危機」。今度は「崩壊」)。

そもそも、10年前の出来事は、ソロスがバーツに対して仕掛けた出来事の連鎖反応に過ぎず、本当なら韓国経済が死ぬ時期はもっと先だったと思ってる。抱えていた爆弾が膨らんでより威力を増す前に誘爆してしまった。

だからこそ、ある意味で運が良かったんじゃなかろうか。
あの時ならば、国家だけではなく国民の蓄えもあったから、かなりの鬼手、国民に貴金属を提出させるなどの措置を取って辛酸を舐めながらも、3年で債務国の位置から抜け出すことができた(もっとも、収入が上回ったという話で、未だに返してない借金もあるのですけどね)。

しかし、今度はその手が使えない。もう無いのだから。折からの禿鷹ファンド対策によるウォン介入によって年金も溶けたといわれてる。下手をすればIMFが助けてくれない可能性だってある。
そして、いつも何だかんだで手を差し伸べていた日本が、次も助けるかといえば、次はスワップ協定という香典を払って終わりなわけだ(もっとも、別ルートで多少の助けは行うんだろうけど)。

ロシアは資源国だったから近年の原油高と合わせて息を吹き返すことができた。
しかし、資源が無く、貿易に依存し、食料自給率25%の韓国がデフォルトしたら今度は、たった3年である程度に持ち直すなんてことは絶対に無い。
ドイツやジンバブエ程ではないにしても、スーパーインフレに見舞われるのは必定。


ここまで追い込んじゃったのはやっぱりノムヒョンのせいだよなー
本来なら、中間層保護して内需の拡大によって貿易依存度下げなければならなかったのに、金持ち憎しでやった政策がことごとく中間層の崩壊招いて、内需拡大するどころか減らしてますます貿易依存度上げちゃって(内需の拡大名目でクレジットカード配りまくったってのもあるけど)。
挙句、経済悪化隠すために国債発行しまくって見かけの数値誤魔化して、長期外債の限度額いっぱいになったから、次に短期外債に手出して、今と。

李明博が頑張っているようだが遅すぎた。
ネットでそれなりに経済に詳しい人の意見をみても、現状の韓国経済の有効な対策を考え付くのは難しいみたい。
あげくしょうもないデマで明博ピンチらしいから、本当にどうしようもない。

もう完全に詰め将棋。終わりまで長いが最後は消えてしまう煙詰め。
最善手で逃げても助からない。弾劾でノムヒョンのクビを切れなかった時点で詰んだ。


嫌韓厨と致しましては、韓国経済の崩壊は良い見世物程度の感覚なのですが、やっぱり多少の影響はでるんでしょうね。増大する信用リスクに伴って、当然利回りも増えるので、そのリスクをおってまで投資する人が確実にいるだろうから(むしろ、いなくなったらデフォルトだし)。
幸い(?)にして、サブプラ問題が尾を引いているので、慎重になっている。だから、影響も最小限になるとは思うが。

あと、最初に2-3年と言いましたが、でも、その前に倒れる可能性ってのはやっぱあるんですけどね。例えば中国の経済悪化。
中国への投資に結構な額をつぎ込んでいるのが韓国で、中国がこければ、当然韓国もこける。10年前の引き金であるバーツ暴落が引き金になりえたのも、タイに過剰投資をしていたからだし。
他にもここ数ヶ月でウォンは急落してる。ワロス曲線、950ライン防衛線でwktkが懐かしいくらい。外債は自国通貨が落ちれば払う額は増えるので、当然、死期を早める。ま、結局、韓国経済がいつ崩壊するかを正確に予想するのは難しい。
[続き...]


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