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夕闇のトゼン草
多岐な話題に雑多に個人的な意見
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石原銀行に関する私見
そういえば石原銀行はどうなったのだろう。

私は、石原銀行の目的は、中小企業に対する銀行の貸し渋り対策だと思ってたし、実際にそうだった。
この石原銀行の構想自体は、おそらく都知事になるよりも前(もしくはなった直後)にあったと思う。石原銀行を作るために都知事になったとは言わないが(公約の1つではあったが)。

リーマンショック以降、決算期に見られたのに黒字倒産がある。貸し渋りによって起こる典型的な弊害の1つ。
例え、健全であっても、つなぎ融資が受けれないばかりに、黒字にも関わらず倒産してしまう。そのような物を防ぐために、貸し渋りに対処しなくてはならない。

石原銀行は金利が高いと非難されたけど、上記が目的だったと考えれば当たり前の話で、金利が高いってことは、すぐに返さないと不味い融資という意味であって、設備投資ではなく、あくまで「つなぎ」に限定させる意味を持つ。

じゃあ、そんな中小企業のために石原銀行が何で失敗したのかというと、それは既にその目的が消失していたこと。
つまり、石原銀行が作られた時(いざなみ景気)には、既に小泉政権によって銀行の不良債権処理が進み、構想が生まれたであろう時期(失われた10年の間)とは、状況が全く変わっていた。だから、本来、ターゲットだった中小企業の経営者たちにすら「いらない」と言われる始末に陥った。で、2008年4月をもって原則廃止。

だから、まあ、結局は時期が悪かったとしか言いようがない。

だけど、先にリーマンショック以降で黒字倒産が~ と言ったように、今再び不景気の波がきてる。今こそ、石原銀行の本来の目的を果たすことができる時期だと思うんだが、、

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盧武鉉の自殺と諸法則第六
朝、起きて最初に見たニュースが盧武鉉前大統領自殺(この時はまだ自殺って確定してなかったが)って非常に驚いた。

まずはお悔やみを申しあげます。

史上、稀に見る偉人でした(お笑い芸人として)。
稀代のエンターテイナーとして、その大統領職に就かれていた間、東亜に絶えることの無い笑いを振りまき、任期満了後もたびたび写真ネタで笑いを振りまき・・・

いやー、本当にショックだわ。まさかこんな形で突然に終わるなんて! 最後まで斜め上を行ったと言えばいいか、何とも言えない複雑な気持ち。
(ニュー速あたりはともかく、東亜板でも「反日野郎が死んだ!」みたいな論調が圧倒的に目立つのは、ちょっと残念だな)


さて、これで第16代大統領は自殺という形でかの国の法則が発動してしまいました。

かの国の法則 - 第六則
かの国の大統領は任期中もしくは退任後に悲惨な末路を歩む

・初-3代 李承晩
 不正選挙を糾弾されハワイに亡命。そのまま客死。
・第4代 尹譜善
 クーデターで退任を余儀なくされる。軍法会議で懲役3年の判決。
・第5-9代 朴正煕
 長男が麻薬服用で逮捕される。狙撃事件発生。弾がそれて夫人に命中。死亡。
 直後、金載圭KCIA部長によって暗殺される。
・第10代 崔圭夏
 学生デモ等が収まらず、粛軍クーデターを実行。結局収まらず、光州事件発生。8ヶ月で退任。
・第11、12代 全斗煥
 光州事件において反乱首謀罪で死刑判決。後に恩赦。
・第13代大統領 盧泰愚
 退任後に収賄容疑で逮捕。光州事件の内乱罪も発覚。懲役17年の判決。後に恩赦。
・第14代 金泳三
 在任中に経済危機に陥りIMFの介入を招く。次男は利権介入による斡旋収賄と脱税で逮捕。
・第15代 金大中
 光州事件の首謀者として無期懲役の判決。息子3人を含む親族5人が金がらみの不正事件。
・第16代 盧武鉉
 汚職で兄逮捕。自身も追及を受ける中、飛び降り自殺。

この点から、盧武鉉がどうなるか?なんてワクワクしてたけど、まさかこんな結末になるとはなあ。

にしても、こうしてみると異質なのが金大中。
無期懲役の判決はあくまで大統領就任前で、任期以降は親族は絡んだが、結局、本人は逃げおおせている。

盧武鉉は、本人の能力はかなり微妙(だから、こそ笑えたりしたんだけど)で、在韓米軍が戦車で女子高生を轢かなければ、大統領になれたかも怪しい。
ただ、何であれ金大中の後任が腹心の盧武鉉になったおかげで、怪しい部分(親北政策とか)は隠れたり、汚職疑惑の追求は緩められた。おかげで、金大中は悲惨な末路は歩まなかった。

まあ、現在は政界から距離を置いているとはいえ、北朝鮮問題では口を出すこともあり、盧武鉉なんかより確信犯。
だから、私は盧武鉉の捜査が続けば、金大中まで芋づる式にいって、法則が補完される可能性もあるのではないかとワクワクしてた。

遺書がPCから見つかったとか、色々と怪しさ満点で暗殺説も出てる中、陰謀論に過ぎないとは言え、ちょっと疑っちゃうなあ。

とにもかくにも、そう言った面から見ても盧武鉉と言う人物は、意図した人物というより、そうなってしまった人物と言う感が否めず、そして、やることなすこと斜め上で、その反日も確信犯というより、盲目的というか何と言うか。ある意味で、被害者と言えなくも無い。そのような人物だったから、時に東亜のアイドル・ノムたん、なんて揶揄されたり。


法則発動まじかか?wなんて喜んでいたとは言え、このような結末は、本当に、本当に残念である。
ニセ科学に関する私見2
前回の続き
大衆にとっては、結果が正しいかどうかが重要だと述べたけど、これは正しくない。正確には目的が達成できるかどうかが重要となる。
基本的に結果と目的は同一視される。まあ、目的のために結果を出すんだから、結果が意に沿わない物で無い限りは、同一になるのは当たり前だけど。
例えば、通勤や旅行と言う目的のために、車が動くという結果を欲するとか、まあ、結局、それ自体が手段だから、手段の手段に過ぎないシロモノは余計に軽視される。

ゆえに、ニセ化学を信仰する者は、科学的におかしいと非難されると「信じている人間の勝手だ」とのたまう。
例えば、水からの伝言なら、それが道徳教育目的として使われるのであるならば、それで本人達は肯定化してしまう。重要なのは道徳教育が出来るか否かであって、科学的な裏付けじゃないから。
ゲーム脳も、ゲームを批判できるかできないかが重要であって、科学的な裏づけは一番の目的ではない。
だから、信仰者に対して「科学じゃない」と批判しても、何の意味も無い。見た目は、科学的な何か(「波動」とか「イオン」とか)みたいな、オカルト的ではない、何かそういう方向を指していればいいだけ。目的が正しければ手段も正しいと言う典型的な本末転倒。

なので、もし批判するとするならば、その目的に沿わないことを徹底的に詰めるべきだと考える。例えば「それはゲーム批判の根拠足りえない」と。
まあ、普通ならば、その過程・理由を批判した時点で結論・結果も否定されるはずだが、本人たちはそこまで知恵が回らない。だから、繰り返し「それはお前の目的に沿わない」と指摘してやる方が効果的ではないかと考える。

だけれども、これは目的の種類によっては使えない。例えば、美容関係やゲルマニウム辺りは、本人が健康になった、満足したと言えば、それを否定できない。さすがに「お前は本当は健康になってない」なんて指摘したら、そっちが非科学的だし。

ゆえに、純科学的な見地から、ニセ科学批判をやっても、信じている本人達にはさほど効果が無い。当然、悪徳商法のように意図してそれをやっているなら、なおさら意味が無い。

結局は宗教対策やら何やらと同じで、感染拡大を極力封じ込めていくのがニセ科学批判の目標となる。その上で重要なのは、やはり権威だと考える。
前回述べたように、人はその判断材料において「権威」を用いている。「科学(的な何か)」という権威を相手が装っているなら、本物の科学の権威によってこれを妥当すれば良い。いくら科学的な何かで説明しようが、科学者が非難しているとなれば、そんなのに意味は無い。
もっとも、これはニセ科学側もやっていることで、聞いたことも無い所とは言え、○○大学とか○○研究所の教授とかの肩書きを使ってくる。
同じ土俵であるなら、より強いカードを切る。例えば、ノーベル賞受賞とか、あるいは、でんじろう先生辺りが「何の根拠も無いよ」と言ってくれれば、それでかなりの効果が望めるのでは無いか?

結論として、ニセ科学を根絶するには、1つに科学者たちの社会寄与が重要になってくると考える。特に有名な者である程良い。私自身は、科学者が社会に貢献しなければならないと言う意見はあまり好かないから、複雑なところだが。

まあ、日本が米国みたいな訴訟大国なら、悪徳商法の類は淘汰され、ニセ科学はある程度に封じ込められるのだろうけどね。訴訟大国ってのは、それはそれで世知辛い社会だけど。
民主党死んだー 二大政党制サヨナラー
鳩山氏が当選しちゃったようで。しかも、よりにもよって注目を集めなければならない代表戦の日に、渡航歴の無い高校生から豚インフが発見されるなんて。国策感染としか思えない。

まあ、出来レース。
自民党に倣ったのか、そうでないのかわからないが、公開党首候補討論みたいなこともやったりしたけど、いかんせん立候補人数が少なすぎるのと、期間が短すぎるのとで何の意味も無い。
密室で次期党首決めるのと何ら変わりなく、むしろ、ここまで見え見えの政治ショーをやってくれた分、性質が悪いと見るべきか。鳩山氏がなりそうという空気を演出して、土壇場で岡田氏が当選する、なんてやってくれたらまだ救いもあったかも知れないが、民主党がそんな器用な真似できたら、とっくに政権持ってるはずだしね。まあ、これがしょせん民主党の限界か。判りきってたことだけど。

さて、党首が出来レースならば、小沢氏の処置も出来レース(?)か?と考えれば、やっぱり出来レースだった。

■【鳩山新代表】会見詳報(5) 「(小沢氏に重要な)ポストを与える」  MSN産経
あの記者会見で日テレの女性記者が、西松問題で離党や議員辞職まで行くか?と尋ねたら、私は何も悪いことはやっていないと逆ギレして、「じゃあ、何でお前は辞めるんだよ(笑)」と突っ込まれたように、そもそも問題を起こしたから党首を辞めたのでは無いのか?院政になるとか、そんなことはどうだって良いんだよ(良くないけど)。不祥事を起こして党首を辞任した男が重要ポストに付くのが問題なんだよ!

先に少し述べたように、党首辞任会見から、わずか数日で代表戦やったせいで、(本人達がどう思っているかは知らないが)全く「小沢は不祥事で辞任した」と言うイメージを払拭できていない。まして、主要ポストに置いたら、大問題だってわかるんかね。

そんなこんなんでネクスト影の内閣及び党重要ポストはどうなるか。岡田氏は幹事長への要請を蹴る公算が強いみたいだが。
そういえば、民主党ってポストだけで、最高顧問×3、代表代行×2、副代表×7、幹事長代理×2とか、無駄に船頭が多いつうか。普通、副党首=幹事長くらいなのに、どちらもいる。幹事長じゃなくても、代表代行と副代表の違いって何?と。最高顧問あたりは実質権限の無い名誉職に追いやったと見れば無駄ではないとは思うが、はてさて。

追伸:TBS・世界ふしぎ発見
今日の世界ふしぎ発見は、利休と秀吉の話。まあ、テーマ自体は良い。
ラストミステリーで、いきなり利休は高麗の女性に恋していたとぶち上げる。おいおい
その根拠は、フィクション作家がそう言ってるだけ。おいおいおいおい
しかも、そのフィクション作家の発言を掘り下げて、茶室は高麗の影響だと言い始める。おいおいおいおいおいおい
挙句、利休は朝鮮出兵に反対で、それが秀吉との確執を決定付けたかのような内容。おいおいおいおいおいおいおいおいおい(ry

フィクションを事実であるかのように出すこと自体問題だし、まして、それを軸に掘り下げるって何だよ?韓国人かよ?
(まあ、テレビ局系列では一番、半島の影響を受けていると揶揄されるところではあるが。)

ふしぎ発見は数少ない良識だと思ってたんだが、こりゃダメだw 来期予想純利益-100%の赤字とか当然だわな

テーマ:民主党 - ジャンル:政治・経済

ニセ科学に関する私見1
ニセ科学が流行る一番の理由は「何故そうなのか?」と考えないこと。まあ、当たり前の話で、何故そうなのかと考えないから、ちょっと考えれば怪しいとわかることを信じてしまう。このプロセスは何ら珍しいことは言うまでもなく、教祖の教えだろうが、指導者の言葉だろうが、マスメディアの情報だろうが、社会に溢れている。だから、まあ、ことさらに特殊な例というわけじゃあない。

では「何故そうなのか?」と言う思考を放棄してそのような情報を信じる輩は、健全な思考を放棄した馬鹿者、愚か者か?と断じるかといえば、そんな人間は自分を含め、今の地球上に60億人以上はいるだろう。つまり、これは人間としてごくごく自然の行為である。

これまた当たり前の話で、一々「何故そうなのか?」なんて考えることは不毛である。
普通は「何で電線は高圧なのか?」なんて考えないし、「ステンレスは何故錆びないのか?」と考察しない。まして、リンゴが落ちるのを見て、それを疑問に持ち「引っ張られているんだ!」と着想する奴なんてまずいない。一々、目に入る全ての事象の、その意味を考察していたら何もできないし、そんな人間がいたら、まず社会不適合者として、最悪の場合は精神病院で一生を終える。


科学者や科学的なモノに携わる者にとっては科学とは真理やそれを応用した技術だが、大衆にとって科学とは生活を便利にするための現象に過ぎない。大衆にとって重要なのは望む結果であって、それを支える過程に過ぎない科学的意味は気にされない。ゆえに結果が手に入りさえすれば「何故そうなのか?」なんて考える意味は無い上に、単なる時間の無駄となるわけだ。

しかし、結果のみが評価され、過程が一切考慮されないとすれば、そもそも科学と言う裏付けすら必要とされないこととなり、ニセ科学は存在しないはずである。でも、そんなことはない。

人は説明のつかないことに必ず理由付けや意味付けをしようとする。例えば、昔はおかしなことや不思議なことがあれば、神の所業やお化けの仕業、祟りで片付いた。例えばにわか雨が振るのは狐の嫁入り、いつの間にか切り傷があるのはかまいたちの仕業、不幸なことが続けば神の与えた試練。民俗学的に言うなら、不可解な現象に理由付け、意味付けをすることによって「未知」という恐れを希釈する(ツポビラウスキー症候群!)。

現代においてもそうで、人はある物事や現象に対して完全無防備で信頼しているわけではなく、必ず何か信頼するための指標を持っている。それが科学である。しかし、最初に述べたように一々検証することは不毛である。だから、本来考えの前提でしかない「科学"的"」であれば、それ以上踏み込んで検証しないで認めてしまう。指標ではなく権威と置き換えてもいい。正しさを担保する手段として権威を利用する。教祖でも指導者でも新聞でも、そして科学でも、それに一定の権威を認めているから、「何故そうなのか?」を考えなくても恐れることなく受け入れることができる。

無論、本来、是非の判定にとっては受動的に過ぎないはずの「権威」が、能動的に悪用される恐れがあるなんて一々言うまでのことじゃない。自身の主張の(見かけの)正当性を高めるための権威付けに「科学」が使われるような事態へと発展することもあるわけで(ソーカル事件が好例)、まあ、それがニセ科学が発生する理由だと考える。最初に言ったように何ら珍しいプロセスじゃない、ごくごく当たり前の話だが。

そもそも科学ってのは科学的手法と言う適切なプロセスを経た事柄を指すわけで、そのプロセスを経ない時点でそれは科学じゃない。回り道して色々小難しいこと考えてみたけど、結局これに帰結するのは何とも。

権威の利用なり、悪用なり、科学の定義なり、何なり、結局、ニセ科学ってどこから切っても、ごくごく当たり前のこと。



科学とは、大衆にとって説明その物ではなく、説明付けの一指標に過ぎない物である。指標だから、その成否の判定は向きさえ整っていれば良く、それが神や魔法と言った方向を指しているかどうかしか判定しない。向きが神や魔法だったら、野蛮だ土人だと馬鹿にし、科学だったら文明だ理知だと尊ぶ。
神や魔法が信憑性の指標となっていた時代ならば、魔法や妖精が原因とすれば納得し、それがどんな意味があるのかわからなくても、雨が降れば雨乞いという過程は正しかったということになる。現代においては科学を指していたら信じる。それが電気や機械で動いていると知れば納得し、それがどんな意味があるのかわからなくても、車が動けばエンジンという過程は正しかったということになる。

そういう意味では人の認識、思考法の根底は、神を信じていた時代から何も変わっていない。俗に科学の信仰と揶揄されるのと同じこと。ゆえにニセ科学が根絶されることは無いだろうな。

続き
ベヒモスがいてリヴァイアサンがいる(そしてジズ)
■【コラム】ろうそくデモと『リバイアサン』(上)
■【コラム】ろうそくデモと『リバイアサン』(下)  朝鮮日報

 韓国で米国産牛肉の輸入に反対するろうそくデモの勢いが収まりつつあった昨年9月中旬ごろ、親しい間柄の教授から電話があった。「李記者は学校で哲学を学んだから、トマス・ホッブズの『リバイアサン』という本を読んだことがありますよね。少し前に翻訳書が出たので読んでみたのですが、完全に『ろうそく批判書』ですね」と言うのだった。
 さらに教授は「まるでホッブズが韓国のろうそくデモを見て、それをきっかけに書いたような記述が数多く出てくるんですよ。ろうそくが韓国社会に投げかけた意味を改めて振り返るためにも、『リバイアサン』を必ず読んでください」と続けた。
 哲学史や思想史で要約された内容はずいぶん目にしたが、『リバイアサン』をしっかりと読んだことがなかった記者は、さっそく2冊から成る『リバイアサン』の翻訳本を購入し、読み始めた。思想史や哲学概論書を見ると、「万人に対する万人の闘争」が起きる自然状態を克服するため、人間が国家という怪物(リバイアサン)をつくり出した、というのがこの本の骨子として要約されている。
 教授と電話で話した直後は、「ろうそくを『万人に対する万人の闘争』と解釈し得る分析がその本に集約されているのだろう」という程度に考えていた。
 しかし、1651年に書かれたというこの本を読みながら、しきりに本を伏せ、呼吸を整えざるを得なかった。1651年は韓国の孝宗2年に当たる。盛んに北伐を行おうと腐心していた時期だ。そんな虚勢を張らなければ、清が李氏朝鮮に侵入した丙子胡乱(1636-37年)で崩壊寸前の国家の基本を支えることが難しかったからだ。
 ところで、357年前のホッブズは驚くべきことに今起きていることをすでに語っていた。彼は良心という言葉が人々によって堕落してしまったとして、「自分の意見に頑固に執着するか、不合理な意見を執拗(しつよう)に主張しようとするとき、自身の意見に『良心』という恐れ多い名前が付く」と嘆いた。
 人々がそうする理由についての分析にはギョっとさせられた。「それは他人の意見を変えようとしたり、自分の意見に反対すれば違法行為であるかのように思わせるためのものだ。せいぜい自分はそう考えているという程度にすぎないことを、(良心という言葉を用いることで)まるで真理を知っているかのごとく主張する」という指摘だった。
 ろうそくは良心の象徴だと言わなかっただろうか。
 昨年のろうそくデモのもう一つの要素は群衆だ。左派が今でも「参加型民主主義の芽」だと称賛してやまないあの群衆。ホッブズは「自身がお告げを受けたと信じる人々のことを考えてみよう。そんな情念にとらわれ、とても奇怪な行動を取る人がたった一人の場合、彼のおろかな行動の結果は目に付かないこともあり得る」と書いている。
 問題は昨年われわれがこの目ではっきり見たように、彼らが塊を成すときだ。ホッブズは「そんな人々が多数集まり、共謀した場合には、群衆の激怒が目に見える形で表れる。われわれが親友たちに向かって叫び声を上げ、殴ったり、石を投げることよりも明らかな狂気の証拠はどこにあろうか」とした上で、群衆の後ろに隠れようとする匿名の個人についても、「万一これが群衆の狂気だというならば、群衆を成す個々人にも狂気が存在すると言わざるを得ない」と指摘した。
 この本には昨年から今年にかけての韓国社会を読み解くのに必要な記述やテーマが、挙げればきりがないほど盛り込まれている。それはともすれば、近代国家の水準において、われわれがまだ遅れているということを意味している。『リバイアサン』という本は大きく「人間について」と「コモンウェルス(国家)について」という二つの記述に分かれている。
 「人間について」は一言で表現すれば、国家を形成しようとする場合、どんな人間であるべきかを扱っている。そこには虚像に頼り、独善を主張する、判断力が欠如した人間に対する容赦ない批判が出てくる。良心の名で包まれた独善や群衆の狂気の問題もそんな脈絡から取り上げられている。
 つまり、どういうことか。
 昨年韓国が経験した「狂乱の夏の夜」は国家を論じる以前の段階に起こり得る情けない水準の話であり、国家をさらに成熟させる新たな次元の話ではないということだ。それゆえさらに恥ずかしさを感じる。


この記事自体も面白いし、これを紹介した2chの記事
■【朝鮮日報コラム】ろうそくデモと『リバイアサン』 「まるでホッブズが韓国のろうそくデモを見て書いたようだ」 2ch東亜板
のレスも中々面白いと思う。

ただ、(多少、記事中にも言及されているけど)これはロウソクデモに限らず、韓国全般の事象に当てはまると考える。実際の論理よりも、その外にある曖昧な概念を用いて相手の発言権その物を奪おうとする行為。典型例として、歴史問題で、日本の意見に反論するのではなく、「道徳性」という言葉を用いて、「発言する資格その物が無い日本」の意見をまともに扱う必要が無い、というような態度を取るわけだ。まあ、実際には、市民革命とか民主主義の発展とか抜きに、韓国の場合には儒教的観念からくる道徳性もあるんだろうけど、あるからこそ、余計に酷くなってるのかもしれない。

まあ、程度の問題こそあれ、この問題は日本でもある。最近だと、スレでも指摘されているように鳩山兄が、在日参政権に愛がどうのこうのと言ってたわけだし。反対方向だと、否定しよう物なら、それは売国奴的な考えだと(私達の考えは愛国心的だと)、左翼認定して発言権を奪ってくる人たちがいるわけで(まあ、良心は、概念的には愛国心より人権とか平和とかの方に結びつき易いから、右より左の方が顕著に現れるのだろうけど)。

日本だと、ホッブズは、せいぜいルソーの社会契約説の踏み台程度、良くてリバイアサンを三権(立法・行政・司法)の権化のような見立てをして終わるんで(「万人に対する万人の闘争」は、アナーキーな状態をイメージさせるだけで、市民運動の様な面とは結び付けられない)今回の記事はそういう面でも新鮮だったなと(人文系で大学行けばわからんが)。

ベヒモスがいて、何故、ホッブズはリヴァイアサン(レヴィアタン)を持ち出したのか納得したのは良い思い出。
で、古代韓国語って何?
■【言語】日本語の語源は古代韓国語だった! … 駐日大使館に勤務した韓国の元外交官が解明   2ch

 「任那日本府説」とは、日本の史学界で言われる、古代日本が任那すなわち伽揶地域に日本府という統治機関を置いて支配したという説だ。支配時期としては、日本(ヤマト政権)が伽?7国を平定したと「日本書紀」に記された369年から、伽?帝国がすべて滅亡する562年までの約200年間と見ている。この約200年のあいだ韓半島を支配し、特に百済を属国として統治していたなら、当然日本語(ヤマト語)が支配語として君臨していて、当時の韓国語は「無力な言語」として死滅していなくてはならない。
 しかし死滅しているはずの韓国語は今日まで続いており、支配語として君臨しているはずの日本語(ヤマト語)は今日の韓国語のどこにもその痕跡を見出せない。むしろ歴史的文献や記録、文化的精華、日本に散在する遺物や遺跡、日本各地に散らばる数多くの韓国に関連する地名からは、韓半島勢力が主力になって日本を主導したという歴史の足跡を見出すことができる。
 それならば当然、韓国語が支配言語だったことの痕跡が日本語のどこかに残っていると断定して話しても決して無理ではない。失われた古代語を追跡して今日に再生させるのは不可能だ。だが韓国語が支配語だったらなら、千数百年を経ていてもその基礎だけは今日の日本語のどこかに必ず残っているに違いない。


まあ、いつものウリナラ起源説。余事象について全ての可能性を考えないで、都合の良い論理展開を行うと。大体、その論理が正しければ、日帝期間中に韓国語は消滅してるだろうに。昔の話だと言うなら、ローマ帝国によってヘブライ語も存在しない。そもそも、お前ら新羅の子孫なんだから関係無いし。何ヶ国語を話せようと、しょせん言語学の専門家でもない人間の妄想。

今回の記事によく現れているけど、韓国の日本に対する韓国起源説って、日本の影響下を否定するための一つの手段。
日本の影響下であることは認めなくないが、事実としてそうである。だから、あれは元々、韓国の物だった。だから、周り巡って自分達に返ってきただけだから憤る必要は無い。そういう形で起源説が発露してると。(水野教授曰く)。

今回のも結局、韓国語は日本語の強い影響下を受けているが、日本語自体が韓国語の影響下にあるから無問題ニダ!と言うお話。


■知的財産権:米国、韓国を「監視対象国」から除外  朝鮮日報 
日本に留学した韓国人が、親しい友人(日本人)のために、そいつが好きな音楽を違法ロードしようかと申し出たら断られたので不思議に思ったって話を平然とするくらいだから(似たような感覚の話は韓国大手紙にもたまに見る)、韓国人の知的財産権に対する認識の向上なんて絶対無いはずなんですけどね。

ハリウッド関連は既に撤退済みだから米国の利害を侵害しないって判断で除外だろうか。それとも単に政府としてできる最低限の対処はしたから外したってだけだろうか。

そんなわけで、どのみち「知的財産権をめぐる国際的な論争で有利な地位を得る」ってことは無いと思うな。


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