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夕闇のトゼン草
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「国家の品格」の感想
「国家の品格」は完璧だ! 内容に反論のしようがない。

論理的に反論しようとすれば 論理より情緒
現実に即して荒唐無稽といえば 妻のような意見があるのはわかっている
前提となる知識がおかしいことを非難すれば 大意は情緒の必要性であり前提は枝葉末節
本がベストセラーで売れたことに関して評論すれば 藤原氏はこんなに売れるとは思ってなかった

もっとも上記は、著者の藤原氏本人の弁というよりは、ファンによるアンチへの反論ですが。


で、本題ですが「国家の品格」の感想についてはこれに先立って、金を出す価値が無いなんていいましたが、最後に述べたようにヒマだったので買って読んでみました。

そこで今回、改めて感想を書いてみたいと。

といっても、感想は前と大して変わらない。中身が無いの一言に尽きる。

近代合理主義にしろ、資本主義にしろ、グローバリズムから民主主義まで、そんなの他ならぬ欧米人によって既に幾万と指摘されていることだし。
ヒトラーを引き合いに出した民主主義批判なんて、たった19年しか生きていない私ですら既に十数回見た代物だし、「チャーチルだって独裁者だ!」と煽るが、そのチャーチルにして「民主主義は今後あらゆる政治体制でもっとも最低なものである」と言ってるのは有名な話。

最終的に藤原氏が志向する真エリートがリードする政治とやらは、A・ハルミトンが既に18世紀には言ってるわけで。。。(あるいはローマの元老院でもいい。)
さらに言うなら、そんな社会は全知全能なる神かラプラスの悪魔でもいないとなし得ない。逆に上記の2つのどちらかがいたら、確かに真エリート社会は素晴らしい社会かもしれないね。

これらに対する新しい考察や洞察の深さがあるならばともかく、あくまで欠点をあげつらうだけで終わりだし。単に欠点をあげつらうだけで、「情緒が必要だ!」とくるのは論理の飛躍ってやつですよ。

そして市場原理批判。

否定するならあくまで経済学の論理なのに、市場経済それ自体をキリスト一派からの教義の派生だなんてオイオイ(笑)

全く同じ物が、ある所では千円、別の所では一万円で売っていたら、どっちを買うか?まず、一般には千円の方を買うだろう。
この時点で既に市場原理が働いている。(正確には市場原理が動くための要素だけど。)これは人間の心理であって、社会という制度と物と金の流れが存在する限りは、市場原理が存在するわけで、ここのどこにイエス・キリストがいるのだろうか。

よく非難されるのは、市場原理のみに頼ったやり方であり、それなのに市場原理その物を否定しちゃうのは、著者の言葉を借りるならまさに「呆れるほどの暴論です。」

星が東から昇って西へと沈むという事実がある。
それを初期の天文学は天動説で説明しようとした。が、惑星の逆行は説明できなかった。そこに地動説という新しい考えを持って天動説を否定し説明するのが普通で、藤原氏がやったのは星が東から西へ沈むということ自体を否定しちゃった。

関孝和が欧米よりも早くに独自に行列式を完成させていたんだと自画自賛するなら、例えば大阪で淀屋が独自に先物取引を完成させていたこともこれまた日本の英知だ。知らなかっただけなのかもしれないが、これを知っていれば市場経済が欧米特有のもの、ましてキリスト教一派の教義に過ぎないなんて馬鹿げたことは口が裂けてもいえない。(日本を肯定するはずが、日本も欧米と同じ穴のむじなだと言っている様なものですから。)

また、欧米式の社会構造よりも、日本式の社会構造が良いってやつも、バブルが崩壊した時点で嘘だと証明されてしまいましたしね。私はほぼギリギリ昭和生まれなので日本のバブル期というものを詳しく知りませんが、例えば映画だとバック・トゥ・ザ・フィーチャーやダイ・ハードなんか、あの時代の映画には決まって日本人の社長が出てくる。当時、日本式社会構造が欧米で素晴らしいものと絶賛され、東欧諸国からも、そのよくできた日本という社会主義国家に倣おうとした。まあ、今は昔ですね。

新しいところはどこかといえば数学者が書いたところが1つですかね。
それにしたって不完全性定理の話を現実の論理に当てはめて論理の欠点を指摘するってのも新しいやり方じゃない。
むしろ、この手の理系分野の話を無理やり現実社会にこじつけて論評するっていうのは、自分に都合のいい理系分野の話を見つけてきて、持論に箔をつけようとする文系の専売特許でしょうに。(現代文や模試の評論でよくあるのが、主観と客観の話カナ。ま、今回の話には関係ないですけど。)そういえば、この前、物理学者や化学者達が「誤った科学認識を改めさせよう!」というニュースがあったなぁ。もっとも、これはマイナスイオンなんかのエセ科学の方が主体の話ですが。(これもまた関係ない話ですけど。)

それを他ならぬ理系の人間がやっちゃったってことは確かに斬新かもしれない。(念のため言うと皮肉です。)
まあ、何にせよ、内容の価値は著者の属性とは直接関係無いわけで、「数学者が論理は必要ないといっている!」つうのは物珍しいだけ。しかし、ファンの感想を見てると総じて数学者という点を大きく評価している。それって結局、本の中身に価値を見出しているんじゃなくて、著者の属性に価値を見出しているだけなのではないか?

逆に言えば、そんな本が200万部達成してしまったことの方が、「国家の品格」が指摘する危機の説得力より、よっぽど説得力がある。皮肉なことに。


あともう1つ新しかったことは情緒が必要だというところかな。しかし、これはこれで非常に危いと思った。その根拠としている日本文化の凄さというものが、ほとんどみんな欧米文化をこき下ろすことで展開しているのだから。
私は"日本人"だから、他者をこき下ろして自画自賛に浸るというやり方には非常に嫌悪する。まあ、特定アジアを卑下するブログをやっている人間のセリフじゃないけどねぇ。
(前近代的な不良は、あくまで自分の行いが良いことではないと感じている上でそれらの行為を行っている。そんな感じ。とでも言っておきましょうか。私は藤原氏に倣い私の逃げ道を確保しておきます!)

私みたいな天邪鬼はほっといてもらい、これを嫌悪しなかったら日本人じゃねえよ。まして武士道なんか携えてない。新渡戸曰く「自画自賛は恥ずべきもの」なのだから。

武士道を携えていない者に限って、武士道しかない!という書籍を絶賛する!!なんて逆説的なのだろうか!!!(新渡戸の「武士道」風に。)

もっとも、単純に日本固有の価値観に帰れというのも、別段、新しい話でもないんですけどね。それを情緒という言葉で規定したのが新しいかな。しかし、日本に限らず、固有の価値観に帰れなんていうのは、藤原氏が危険だといった原理主義者も言っているわけですよ。

ありがたいことに欧米の価値観や宗教的な原理主義の危険は藤原氏が保障してくれるという訳だ。よろしいならば私も問おう。私ら日本の価値観の健全性は一体どこの誰が保障してくれるのだね?

さてその情緒の必要性を訴える時に論理の不完全性を踏み台にしているわけですが、これについてもひっかかる。
先に少し述べたように、理系分野の話を現実社会にこじつけるってのは、それ自体が始めから滑稽であってやり方として無謀。現実社会が規則正しい論理でなんて動いていないなんていうのは、マトリックスのアーキテクトがマトリックスの失敗をネオにわかりにくく語るまでもなく知っている。そんなものは当たり前のことだから。

藤原氏がそれを理解できていないかというと、論理の問題点の③の最後の方で、社会には数学の公理系は存在しないと言っている。なのに、②で公理系の真偽の話である不完全性定理の話をこじつけてる。これは酷い矛盾だ。

私は数ⅢCで手一杯なので、不完全性定理については知る由もないが、ネットで不完全性定理について調べてみると、藤原氏の主張はかなり怪しく感じてくる。特に不完全性定理というものが一般的な数学ではなく、数学それ自体を対象としている点を考えるとより。「大雑把に言うと」なんて言葉で濁しているけど、相手に正しい情報を与えないで自分に有利な風に進めるやり方を世間一般では「卑怯」というのではないのですかね。むろん、不完全性定理を一般人に全部を理解させようと説明するなんてのは大変なことだとはわかりますが、専門性を傘にしてあらぬ方向へ誘導するのはやはり卑怯だと。(ちなみに直接は関係ないが、ウィキペディア先生が大雑把に言うと「自然数論より強い理論では自己の無矛盾性を証明することが不可能である」らしい。)

さらに言うなら、藤原氏は論理と情緒を二項対立化させているが、そもそも藤原氏の論は、過程である論理よりも、出発点である情緒を大切にしろという話だ。それは、論理を情緒で補えという話であって、情緒が必要だという極論へ持ってくるのは変だろう。

むろん、よーく読むと別に藤原氏は論理は必要ないとは言ってないし、情緒は補うものだとも説明している。が、あくまでよーく読むとそうわかるであって、普通に読むと二項対立化させている時点でそれは非常にわかりにくくなっている。ファンの感想をいくつか見たが、論理より情緒だと短絡的に述べている感想が圧倒的に多いのはその証左だろう。

私は性格が悪いから、始めから藤原氏は無知な読者をミスリードしてやろうと考えているじゃないかろうかと思ってしまう。

私は現実における論理の問題とは出発点じゃなくて、目的と要素にあるのだと思うのですけどね。まあ、数学者ゆえに公理という物から出発するという前提に立っているのだろうけど。(この辺りは感想というよりは自己の論理に対する考察になるので、後日、改めて考えてみたいが。)

他にも思ったことはあるが眠い。
なので、ともかく「国家の品格」から「当たり前なこと」や「既にあること」を削いでいくと、残るのは著者が数学者であるという属性しか残らない!ゆえに中身が無い!以上!


ダラダラわかりにくい文章になちゃったよ。ああー 藤原氏のような文才に恵まれていればなぁ。

5/8:部分的に修正  また、新たに続きを書く
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国家の品格@藤原 正彦

昨年の流行語大賞をとった「品格」の本、いまさらですがフォトリーディングです。 フォトリーディング@Luckyになる読書道【2007/03/06 23:31】

感想:国家の品格

評価:★★★★☆ 面白かった、ただ、なんとなく。 著者:藤原正彦 満州国新京生まれの数学者 作家新田次郎・藤原てい夫妻の次男として、満州に生まれる 1966年:東京大学理学部数学科卒業。 2006年:『国家の品格』が第23回新語・流行語大賞を受賞。 内容: 論理より 逆さメガネで覗く世界 -don't think, feel-【2007/05/25 21:30】

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