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夕闇のトゼン草
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「国家の品格」の感想の続き
昨日の感想で一番書きたいことを忘れてました。

最初の方で藤原氏は例として、いじめを無くすのに「カウンセリング」だと論理的だからウケるが、「卑怯」は論理的じゃないからウケないと述べていますが、私はそれは違うと思います。

そんなのは論理を持ち出す以前の話で、「カウンセリング」だと近代的でカッコいいけど、「卑怯」だと古臭くて爺臭くてカッコ悪いってだけの話でしょうに。

「だから何?」と、これをわざわざ読んでくれている人に言われそうですが、これは結構重要で、どの事象が論理的と言っているのか?という話に繋がる。

つまり、藤原氏は「カウンセリング」という行為自体が論理的だといっているのか、それとも「いじめを無くす→カウンセリング」というプロセスが論理的だと言っているのか?

私は、始め「卑怯は論理的じゃないけど、カウンセリングは論理的な解決方法であるから、カウンセリングの方がウケる」という話だと思った。

しかし、藤原氏の論述は、あくまで、「いじめを無くす方法→カウンセリング」という論理の組み立てを非難している。そうでなければ出発点が問題だという主張は関係がない。だから「カウンセリングは論理的だから」とは読み取れない。

結局のところ「いじめを無くすためにカウンセリングを設置する」も「いじめを無くすために卑怯を教える」も、解決手段の模索というプロセスの論理という意味では違いが無い!

そしてこのフィルターを外してみると、別に「いじめを無くす方法」に限らずとも、それ以外の例を見ても似たり寄ったりだとわかる。

それが「国家の品格」という書籍にとってはどういう意味を持つかといえば、全体を通して藤原氏の言う「今の時代こそ情緒が必要」っていうのも、まさに藤原氏の危険だと指摘するワンステップ、ツーステップの浅い論理だということが見えてくる。それは 危 険 な ほ ど 見えてくる。

これがすぐに見えてこないのは、つまりは、プロセスと事象のどちらを論理的にするかを都合よく取り替えていることと、前回の最後の方で指摘した対立概念ではない論理と情緒を対立概念と用いていることなんじゃないかと思う。

(ただし、ワンステップ、ツーステップの浅い論理だけだというコトを回避するには、その妥当性を裏付ける物があれば問題は無いと思う。しかし、残念ながら「国家の品格」はその妥当性を裏付ける前提知識などがおかしいことは前回さんざん指摘した。)

それを藤原氏が意図的にやっているとすれば、問題だが。さすがにそこまではわからない。
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テーマ:雑記 - ジャンル:政治・経済

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