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韓国人貿易商20年間の研究が最短20秒で論破可能!
■「古代日本の主流階層は渡来人」  朝鮮日報

貿易会社サムエ社の朴定和代表理事
 貿易会社サムエ社の朴定和(パク・ジョンファ)代表理事は事務室の机の下から大きな風呂敷包みを取り出すと、そこから厚さ50cmを超える文書の束が出てきた。文書の先頭には、ゴマ粒のような小さな手書きの字で韓日古代史関連の数多くの項目が記されていた。
 「七支刀の項目を見てみましょうか?」
 七支刀の項目のページを開いてみると、七支刀に関するあらゆる日本の書籍や新聞などの資料がびっしりとスクラップされていた。
 「日本は“七支刀は百済王から日王へ献上されたものだ”と主張していますが、そうではなく下賜品です」
 そう言いながら朴理事はユニークな根拠を提示した。
 「七支刀は通説では4世紀に作られたものだとされていますが、これは違います。七支刀の製造に使用されている錬鉄技術は、百済が5世紀後半に中国から導入したものです。技術的優位を占めていた百済が、それを日本に伝授する立場にあったということです」
 また、朴理事は「日本」という国号を創案したのは7世紀の高句麗僧・道顕であり、それ以前の日本の通称である「倭」は伽倻の別称であったと主張した。つまり古墳時代はもちろん、奈良時代まで古代日本の主流階層は韓半島(朝鮮半島)から渡った渡来人だったというのだ。このような内容は、最近朴理事が出版した「日本の源流を訪ねて」(サムエ社刊)に収められている。
 朴理事は実際の年齢より20歳は若く見えるが、すでに80歳を超えている。光復(日本の支配から解放された日)直後、朴理事は米ミシガン大で原子力法学を学んだ。当時は、そのような学問があることすら大部分の人は知らなかった。帰国後、1958年に設立された原子力院で法律諮問秘書官を務め、1970年代からは貿易業の世界に飛び込んだ。
 そうして10年あまり、事業のために世界各地を飛び回っていた朴理事は、ノルウェーのコンチキ号博物館で衝撃的な遺物を目撃した。それはイカダ。数千年前、人類がイカダに乗り、海流の流れに乗ってノルウェーからペルーまで数千キロの距離をわずか30日で航海していたというのだ。
 「釜山から対馬まではたったの50キロしかないのに! それならば古代の日本人は韓半島から渡った人ではないか?」
 60歳になってはじめて、朴理事は古代史研究家の道を歩み始めた。
 仮説ではなく、明確な根拠と資料が必要だった。日本に行くたびに古本屋や図書館を手当たり次第に探し回り、古代史関連の学者を直接訪ねては討論をした。こつこつと読み重ねた日本の書籍はなんと3000冊にも及ぶ。
 2004年、朴理事は米ニューヨークで『The Histo ric Long, Deep Korean Roots in Japan(歴史的に長くかつ深い日本における韓国の根)』を出版した。この本は韓国国際交流財団の優秀推薦書に選定され、海外37か国の大学や研究機関に配布される予定だ。
 「今後は日王と日本仏教、神社の由来に関する本を書くつもりだ」
 朴理事がやるべき事はまだまだ多いようだ。


20年間の研究とやらだが、一回読んだだけで笑いが止まらない(クククッ
>「日本は“七支刀は百済王から日王へ献上されたものだ”と主張していますが、そうではなく下賜品です」
>そう言いながら朴理事はユニークな根拠を提示した。
>「七支刀は通説では4世紀に作られたものだとされていますが、これは違います。七支刀の製造に使用されている錬鉄技術は、百済が5世紀後半に中国から導入したものです。技術的優位を占めていた百済が、それを日本に伝授する立場にあったということです」
"七支刀の製造に使用されている錬鉄技術"
おそらく鋳造だと思いますが、何にせよこの辺りの技術は、紀元前には既に日本に伝わっていたのですけど・・・・(銅鐸なんかまさにその良い例だし。ちなみに銅鐸については、朝鮮経由ではなく、実は直接支那から伝わったというの研究結果が最近あった。)

まあ、そんなに難しく考える前に、仮に百済の方が先に技術を持っていたとしても、それが何で下賜品という証拠になるのでしょうね??( ´-ω-)y‐
属国の持つ技術で作った物を宗主国に献上品として送ったと見たって別に何の不都合も無いわけですし・・・(ウリナラ論理は今日も凄い!)

しかも、もっとも肝心なのは4世紀じゃなくて5世紀後半に作られた根拠なのに、それを示してない。つまり、単なる憶測。

第一、
>七支刀の項目のページを開いてみると、七支刀に関するあらゆる日本の書籍や新聞などの資料がびっしりとスクラップされていた
なんて言ってますが、七支刀について書かれた文献は、日本書紀の数十字と、七支刀それ自体に書かれた銘文数十字のみで、内容の重複でもない限りは"びっしり"なんてありえないのですが・・・(つまり、色々な学者達による"憶測の類"の書籍がびっしりってことなんだろうなぁ。)

>また、朴理事は「日本」という国号を創案したのは7世紀の高句麗僧・道顕であり、それ以前の日本の通称である「倭」は伽倻の別称であったと主張した。つまり古墳時代はもちろん、奈良時代まで古代日本の主流階層は韓半島(朝鮮半島)から渡った渡来人だったというのだ。このような内容は、最近朴理事が出版した「日本の源流を訪ねて」(サムエ社刊)に収められている。
日本の国号はどこから来たというのは未だよくわかってないし、道顕の日本世紀が初出という主張も別に見慣れた物だが、もともと唐で"日本"と呼ばれていたのが、朝鮮半島にも移り、そこから道顕が"日本"と書したと見ても間違いとはいえない。まあ、かなりグレーゾーンだから、これに関しては明確に否定はできませんけどね。(もっとも肯定もできないが。)

で、"倭"が伽倻の別称だと主張する根拠は、おそらく朝鮮半島南部が倭と呼ばれた時期もあったことからなんだと思いますが、あくまで全体を通して倭とは日本列島の国や人を指す言葉であったことに違いは無く、よって列島の倭人が半島南部を支配下においたために半島南部が倭と呼ばれていたこともあった。と考える方が自然じゃない?

>朴理事は米ミシガン大で原子力法学を学んだ
古代史と全く関係ないねー

>そうして10年あまり、事業のために世界各地を飛び回っていた朴理事は、ノルウェーのコンチキ号博物館で衝撃的な遺物を目撃した。それはイカダ。数千年前、人類がイカダに乗り、海流の流れに乗ってノルウェーからペルーまで数千キロの距離をわずか30日で航海していたというのだ。
パナマ運河の無い時代に筏でノルウェーからペルーを1ヶ月で航海したら凄いねー('A`)
(もしかして地球儀で見ると違うのかな?)

つうか、コンチキ号の船長はノルウェー人だけど、この人がやったことは、ペルーからポリネシアへの航海だろ? ノルウェーからペルーなんて言っている時点で βακα..._〆(゚▽゚*)

で、
>釜山から対馬まではたったの50キロしかないのに! それならば古代の日本人は韓半島から渡った人ではないか?

工エェェ(´д`)ェェエ工

逆に言えば日本人が朝鮮半島に渡ったという可能性には至らないのだろうか? それに陸続きだった頃に人が移動してきたとも、同じ海路ならば南洋からも移住してきたとも言われるのに、何で半島からの帰化人のみクローズアップされないといけないの?それに海路の50キロってバカにならないんですが。。(そりゃ現代なら高速艇で2時間程度だろうけどさ。)


>仮説ではなく、明確な根拠と資料が必要だった
私には明確な根拠も資料も見えない!

>「今後は日王と日本仏教、神社の由来に関する本を書くつもりだ」
>朴理事がやるべき事はまだまだ多いようだ
20年間でこの程度ならば、このまま何もしないほうが・・・・・・
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テーマ:特定アジア - ジャンル:政治・経済

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