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夕闇のトゼン草
多岐な話題に雑多に個人的な意見
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わかりにくい評論文
今月は既に模試3つですよ。来週にまた1つあるので、今月は計4つ。浪人生は大変だね!

まあ、実際のところ、のん気なこと言ってられるような結果を得られてないんですが。特に前にも言ったように英語はヤバイね。あと、行った高校と予備校の進行方法の関係で化学Ⅰが酷い。Ⅱは良いんですけどね。(化学は好きな分野だし、教えられた部分は綿が水を吸うように理解していってるから、この先、急速に伸びると予想。)

あと基本的に言語類は苦手だから、英語も苦手な様に国語も苦手なんですけど、小さい頃から本が好きで読書していたり、新聞を読んでいたりした介があって、現代文は結構できる。特に漢字や慣用句の問題は滅多に落とさない。ただ、そんな現代文でも、小説に関しては、「恋愛もの」とか来ると結果が酷い。

問.下線部Aに関し、このときの○○の心境に近い物はどれか?

なんてこられた日には「そんなこと知るかボケ! 他人の考えが何かわかるわけねえだろ!」だし。で、文句言ってもしょうがないから、センターなら消去法で二択まで絞って、最後50%の確率を外す。(解答を見て死にたくなる。)

まあ、人を殺すことに罪悪を感じた脱走兵が主人公の小説からの問題は満点でしたけどね。(つくづく題材だと思う。まあ、運しだいか。)


論説文の方は― (というより、これが今回の本題なのですが)
これは小説以上に当たり外れが大きい。というのも、大きく分けて「内容」と「表現法」の2つに大きく左右されるからだ。
「内容」というのは、そのまま内容。 普段、こんなブログで新聞から様々な文章を「こんなバカなこと言ってんじゃないよ」と批難している人間にとっては、内容如何でやっぱり「なんだこの変な論説は?」とツッコミを入れながら読んでしまう。ツッコミを入れながら読むってことは、もうその文章を100%受け入れるのではなくて、自分なりの解釈で読み勧めるということだから

問.筆者がここで言いたいことは何か?

なんて聞かれれば、もはや答えはわからない。つうか、こんな変な結論書いてる奴の真意など知りたくも無い。ちなみに、この手に多いのは、理系分野の話を文系分野に無理やり置き換えてこじつけるというタイプかな。
例えば、未だに記憶に残っている奴は、理系における「主観性」と「客観性」というのは、誰しもが、同様の実験を行っても、同様な結論を得られるというのと、また、例えば単位系を設定することで研究内容を共有できるようにするといったのが理系における「客観性」なのに、科学がどうのこうのと述べておいて、突然、「人間は身体から離れることはできないから、真の客観性などというのはまやかしだ!」なんてこられた日には「お前は何を言っているんだ?」となる。

この前の模試では、「昔における未来というのは死後の世界を指し、現在(近代思想)における未来というのは現実の延長線上にある」という内容で始まり、近代思想に関連した描いた未来像の結果、新たな問題が起こる(例えば、病気を治すために抗原剤を使ったら、新たな体性菌が生まれたという事例など。)を持ち出して、さあどんな結論を出すかと思えば「だから、私は未来を見ないことを推奨する」だ。「はぁ?」ですよ。
じゃあ、それって未来ばっか夢見て、現実という足元を省みない、結果、現実に足元をすくわれているという様なことを批難しているのかと思えば解答は全く違う。とにかく「近代思想に寄る未来は素晴らしい物」という思い込みを捨てよらしい。

解説を読むと、近代思想は未来をよりよくするために矛盾自体を解決しようとした結果、矛盾を受け入れる覚悟を喪失した云々 と述べているが、この論説文は、「矛盾を解決するために新たな矛盾が増える」というのが無条件で組み込まれてるし、(それを証明するかのような事例を上げてはいたが、到底、それを証明できるような内容じゃない。)さらに矛盾自体を解決することよりも、矛盾を受け入れる方が優越であると、それらしいプロセス無しに言い切ってる。
しかも、これは次の「表現法」に繋がる話ですが、「私は決して高みから物を述べるつもりは無い」と言いつつ、明らかに何か私は真理に近い所にいるみたいな文章で言ってるから余計に酷い。

まあ、今回のエントリーと直接関係無い無いのでこれくらいにしますけど。(ちなみに、内山節という人の「未来をどう生きる」というのが出典のようですが。)

さて、脱線したので軌道修正して、もう1つの「表現法」という奴。
評論文が今回の本題とは言ったけど、より正確に言えば「評論文の表現法」が今回の本題と言った方が正しいかもしれない。

そもそも論説文というのは、というより文章というものは、本来、自分の考えを他人に伝えるという目的の手段だ。「相手に自分の考えをわかりやすく伝える」これが何物にも最優先される。そのためには、論理的な組み立てをしっかりする必要があるし、相手でもわかるような表現に努めなくてはならない。
もっとも、文才というのもあるし、どんなにわかりやすく説明しようとしても、上手くできないというのはある。他ならぬ私だって昔の文章を読み返せば、文法がおかしかったりして判りづらいし。つうか、昔といわず1週間前の文章 いや、現に今書いている文章の前半部が既に文法的におかしなところが出てきたりしていて判りにくくなってるかもしれない。

ところが、時々、論説文にはそのルールを守らない物がある。
端的に言ってしまえば、あえて難解な回りくどい表現を使ったり、普通、使わないような難しい言葉を使ってる文章。(そんな言葉より、もっと普通に使われてる言葉があるだろう!!)

そういう文章を書くのは、やっぱり難解な表現の方が「カッコいい」とか「知的に見える」とか「文学的」だと勘違いしてるんじゃないかと思う。川端康成目指して、純文学の作家でも目指してるというなら文句は言いませんよ。しかし、論説文がそれでは困る。

小学生に面積を教えるのに、積分を持ち出して教えるのは、知的に見えて、頭が良い証拠になるだろうか?いや、そんなわけはない。それは単なるバカである。
相手にわかるように説明してなければ、いかにその説明が"高度"であっても、もはや意味が無い。

「自分の考えを伝える」という目的じゃなくて、「自分の頭の良さを誇る」が第一目的になって書かれてる文章を読み解き易いだろうか?読み解き易いわけがない。

まあ、問題となる文章を選ぶのは、その著者ではなく答案作成者ですから、「そんな文章書くな」というより、「そんな文章選んでくるな」と言ったほうが正しいかもしれませんけどね。

違ったタイプでは、例えば高校の現代文にのっていた上野千鶴子の評論文が見下ろすタイプの文章の論説でヒジョーにうるさかったけど。「私は物に縛られない!本当の自由を手に入れてる!!」ってそれって単に野暮なだけじゃ?
(お土産用の灰皿使ってるから、私は物に縛れてない、物を使う側の人間だ!なんて胸を張って言うのってどうよ? 趣味の良い人は物に縛られてるから、自由じゃないみたいなこと言っちゃって。)

こういう「結局のところ、お前さんが単に○○なだけだろ?」的なツッコミが入れられる論説文も、読み解けなくはなくても、読み解きにくくなってると言えるだろうな。
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