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夕闇のトゼン草
多岐な話題に雑多に個人的な意見
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長野聖火リレーまであと10日ですが
まあ、長野出身と言っても、善光寺のある北信と、故郷の東信は離れているので別に何らかの事件が起こっても、まず自分とは関係無いのですが、聖火リレーに関して少し。

基本的に私はリレーを妨害することに反対しないが、かといってそれが許される行為だとは思わない。また、傍観者も、自分が当日その場にいたり、参加するのでない限り、応援したり、妨害するのを許容するのはひかえるべきだろう。

リスクを負うから、その行為に価値がある。
もしも、初めからその行為が認められていたり、擁護されることがわかってるなら、妨害者は高度な内容の目的のためというよりも、ヒーロー願望持ってるとか、憂さ晴らししているようにしか見えない。そんなのは「自分は少年法で守られてる」って言って馬鹿やる未成年と何ら変わらない。

思想信条を言論として発信することは自由で、その価値は一重に内容に寄るが、行動を起こすなら例えそれがどんなに崇高なる目的を持っていようとリスクを負わないと価値が無い。逆に言えば、リスクを負ってないのにアクションを起こした気になって、自分は大いなる目的に寄与したんだと思っているなら、滑稽だ。署名運動然り、不買運動然り。
外国人参政権と地方自治についての私見
■外国人選挙権「憲法に反する」 自民若手有志の会  産経新聞

 民主党が永住外国人への地方選挙権付与法案の提出を検討していることを受けて、自民党の議連「伝統と創造の会」(会長・稲田朋美衆院議員)は1日、党本部で勉強会を開き、「地方選挙権の付与は憲法違反だ」として法案に反対していく方針を決めた。
 勉強会では、日本大学の百地章教授(憲法学)が講演。平成7年の最高裁で参政権を「日本国民のみを対象」とするとの判決が出ている▽韓国で地方参政権を付与される日本人は100人に満たず、在日韓国・朝鮮人約46万人に比べ著しく少ない▽有事における自衛隊活動に制約ができる-などを説明し、強い懸念を示した。
 自民党法務部会の「国籍問題に関するプロジェクトチーム(PT)」(座長・河野太郎衆院議員)が1月下旬、特別永住者の帰化手続きを、許可制から届け出制に変更する法案を今国会に議員立法で提出する方針を決定していることについても異論が相次いだ。


民主党も若手だか民政党の系列だかが反対出してましたが、自民はともかく、民主党は党公約に掲げて党のトップが乗り気なんだから、反対なら民主党から出ろと。別に自民と合流しろとは言わないから、とにかく離党しろ。
郵政解散の時もそうだけど、党として公約し、そして党が要として実行し、党首がそう宣言していることに反旗を翻すなら自分から離党しろよ。結局、保守派・革新派のどちらにも良い顔をするというコウモリのようなことやってるわけで、、、

まあ、そんな民主はともかく、この自民の記事見ると中々、鋭い主張しているみたい(と言ってもネット上では散々指摘されていたことだけど。)で、多少期待したいところだが、、、


外国人参政権と一口にいっても、どこまで認めるかの問題があり、被参政権もか否か、地方自治体レベルか国政レベルか、という感じですかね。認める派でも知事クラス以上は駄目っていうのは、まあ納得できますけど。(知事クラス以上は特に自衛隊の活動に影響を及ぼせるから。)私は外国人参政権には地方自治体の議員クラスであろうと反対ですけど。

また、流れとしても、参政権が認められたら公僕にも入り込めるような流れになってしまうでしょうしね。これで変なポストに入り込んで優遇措置なんか取られたら溜まったもんじゃない。教育委員会に入り込んで、韓国語も教えましょうなんて笑えない冗談。



ちょっと話は変わりますが(というか本題だけど)、よく国会議員が多すぎるという話は出てくる。まあ、実際そう思います。(人口も領土も圧倒的に多い米国ですら上院議員は100人程度だし。まあ、体制が違うから一概に比較できる物でもないですが。)
それと同時に地方自治体の議員も多いと思うんですよね。

国会議員も色々と費用計上してるのは、まあ、仕方が無いと思う。「豪華な議員宿舎だ!」なんて槍玉に上がったこともあったけど、端から見ると貧乏人のひがみにしか見えない。
まあ、それはともかくとして、地方議会の議員も給料はそんなにいらないと考える。国会議員と比べると全く話題に上がらないので具体的にどのくらい給料もらってるのかよく知らないが(ちょっと調べてみると、小さい町村レベルでも、大きな市レベルでも、月収40-50万前後っぽいが。どうせ、そこにプラス必要経費とか何とかがつくのだろう。)、欧米のそれがほとんどの雀の涙ほどなのに比べるとかなりもらってるらしい。(洋画見てると大きな市でも無い限り、地方議会の議員や首長は、ごくごく平凡な感じの人間だし。日本の場合によっては国会議員っぽいようなパターンとは全然違う。)

(ここからは都道府県レベルじゃなくて、あくまで市町村レベルの話ですが)
決して地方議会を軽視するつもりは無いが、地方議員は仕事の量が多いとは思えないし、それこそ本職と二束の草鞋を履くのは容易だろう。実家にいた頃にケーブルテレビでたびたび自分の町の議会が放送されてるので見たが、言っちゃ悪いがどう見ても月収で50万はぼったくりだ。

「真の民主主義は地方から」って有名な言葉もありますけど、これって日本的な例えだと、田舎の寄り合いとか道普請とか、そういう物を前提にすべき話だと私は思うんですけどね。(私はこの言葉がどういう状況を想定して出た言葉か知らないので完全な想像ですけどね。)「国があなた方のために何をしてくれるかではなく、国民が国のために何をしてくれるか問おうではないか」なんてケネディの言葉もありますが、というより、この言葉によって「真の民主主義は地方から」の意味が補完されると思うわけで。

どうも、地方自治を訴える人達って、国政レベルの行政という組織の形を地方自治で形作ることしか頭に無いし、それが地方自治だと思ってる。要は国が持ってる権限のいくつかを地方が持てば地方自治。端的に言えば形から入ろうとしているだけ。スポーツにしろ何にしろ、必ず身近にいますよね、そういう人。
結局、形を作れば後から中身がついてくるとか思ってるから、財源を国や東京辺りに集ることしかしない、できない。そもそも、地方議員の仕事ってのがほぼ陳情で、国か都道府県から財源ひっぱってくることしか能が無いから、実は変わってないんですよね。実際のところ「形から入る」依然の問題で、地方自治という近年の流行り言葉に乗っかっただけってな感じだったりして。

まあ、ぐだぐだ言ってもしょうがないのではっきり言うと、地方自治を食い潰してる最大の要因は、国でも過疎化でもなく、地方議員しいては特有の地方議会体制(制度じゃない)じゃないかと私は考える。まあ、そう考えたところで、明治から作られた日本の政治体系ですから、そう簡単に修正できるとも思いませんけどね。

ただ、私は近年の地方自治がどうのこうの話は、地方自治体が金を集るための一手段にしか見えないし、真の民主主義がどうたらこうたらの話もインテリや理想主義者の中身の無い主張にしか見えませんけどね。

一応、言っておくと首長レベルなら、そこそこ月収が高くても良いと思ってます。


追伸:若手の集まりと言って、今回の会の会長の情報がソースの下に出てますが、50歳で若手って言うのも変ですよね。よくある話だけどw
追伸2:自分の書いた文章を読み直してみたが、まったく中身の無い駄文だ(苦笑  _| ̄|○

テーマ:政治・地方自治・選挙 - ジャンル:政治・経済

安倍首相辞任とその後に関する雑感
もう1週間近く前の話ですが、辞めちゃいましたね。
私は安倍さんより麻生閣下の方が好きですが、でも安倍政権を支持してた。小泉路線の継承者の名に相応しく、着々と歩を進ませていたから。
ただ不味かったのは小泉首相は、盛んに功績をアピールして国民を味方に付けたが、安倍さんはそれができなかった。安倍さん自身は、成果を出せば国民がついてきてくれると思っていたのかもしれないが。
チャーチルの言葉だったかな、政治家は成果を出すだけではなく、それを国民にアピールしなければならない。ただ成果を出すだけなら、官僚で良いんですよ。

小泉前首相との関係を見ると、安倍さんは、武田勝頼とか徳川秀忠が思い浮かんだけど、結局、その通りになってしまいました。せめて秀忠であって欲しいが。


次は麻生さんに来て欲しいところだが、福田氏に決まりそうで。
現状を考えると自民的にはベストなんですよね。親中派の福田氏がなることで、イジメにしか見えないメディアの自民叩きが緩和される。自民に対立することでしか自己主張できない野党の面目を潰す。自民全体から見て非難の少ない福田氏を据えることで結束力を高める。
麻生さんは、アピールが上手いから、小泉首相の時のように国民を味方に付けられると思うんだが、いかんせん非難に敏感になってる自民党内じゃ、麻生さんが首相になるのは難しい。

民主党の政策は穴だらけで、おそらく誰よりもそれをよく知っている小沢氏は政権を取りたくないって思ってるだろうし。小沢氏は、衆議院における自民の単独過半数がどうにかできれば良いというところだろう。


それと、辞めろ、辞めろ言ってた人たちが今度は無責任だなんだと非難するのを見ると何だかね。
安倍政権支持してた人間の「続投の意思固めてくれたんだ」という期待を裏切ったという点で「無責任だ」と非難をすることはあっても、散々「辞めろ」と言っていた人間が批判することじゃないよ。
むしろ、ここで「やっと辞めてくれた、ありがとう」くらいの余裕を見せるべきなのに、とにかく何でも叩くことに必死なのが、哀れで。


追伸:
所信表明演説の時に野次に丸山弁護士がキレたようで。まあ、「ただ目立ちたいだけ」という指摘は、ハズレではないと思うが、お前が言うなよ>横峰
国会の野次は確かに様式美かもしれないが、「あれは野党の自己主張」なんて堂々とインタビューに答えるなんて馬鹿か?>姫井

今年の2月に誤りに気づいて自主的に事務所費を修正した自民議員にまでそれが大問題とばかりに総袋叩きにしたくせに、安倍退陣のどさくさに紛れて事務所費訂正した小沢代表は全然問題に話題にもしない。それで、イジメは社会問題とかギャグですか?>マスコミ
主観と客観の定義
前に評論文で、本当の客観性はありえない。みたいなことを主張するやつがあった。
人間という入れ物から出ることは出来ない、どんなに客観性を持とうとしても、それは結局のところ完全に主観を排斥できるものではない。と。

これ自体は科学における客観性を念頭に置いていたが、科学における客観性とは、同じ状態なら同じ結果が出るということや、メートルや重さなどの定義をそろえることでの共通性の話だから、「的外れこの上ない」という印象だった。

しょせん、文系による哲学的な意味で、理系における定義に対して文句言うなよ。というのがこの評論文に対する正直な感想。

それで、これとは別に、日本人が何かと「客観的に物を見ろ」という言葉を使うことに関連して、「日本人は個人主義には程遠い」とか、別の意見だと「主観無き客観性とは主体思想と変わらない」みたいな結論付けをする人もいた。

まあ、一見すると確かにそれらの指摘は正しいように感じる。

ただ、「主観無き客観性」とまで言うとこれには正直、納得が出来ない。「もっと客観的に見ろ」と言う言葉に、「主観性を完全に排除しろ、自分で物を考えるなッ」という意味は含まれてない。
だけど、客観的に考えろは言い換えれば、主観的には考えるなということだし、論理的には間違ってない。何がおかしいのか。

そもそも、客観性という言葉の使い方自体が間違っていて、正しく言うなら、マクロ、大局的視野という方が正しいんじゃないかと考える。

逆に言えば、この辺りが、本当に自分の頭で考えているか、それとも単に誰かの意見(より正確にいえば、大勢を占める意見)に乗っかっているだけかの違いにもなるんじゃないかと思う。
それこそ後者ならば、「主観無き客観性」だろうし。

だから、主観と客観の実際に使われ方というのは、本当は「ミクロとマクロ」或いは「局地的と大局的」という使い方の方が妥当ではないか?

と、重箱の隅をつつくような観念的な話でした。
成果を出さないだろう山崎拓が成果を出してしまった後を考える
山崎拓が北朝鮮へ向かったというニュースを最初に見た際は、何の成果も出せずに「喜び組見物?」なんて笑ってたけど、一部情報で拉致被害者を帰す可能性があるみたいですね。(もっとも、その見返りが馬鹿げてるんだろうけど。)

まあ、それは抜きにして。(100%確定した情報じゃないし。)
山崎拓の今回の訪朝については、ネットの大勢は、「党内窓際族と化し、今では平沢以下の存在である山崎が功名心から勝手な二元外交を展開。そんな相手に北朝鮮がまともに対応するはずが無い」という意見で私もそう思ってる。(そもそも、山崎拓の電撃訪朝は、関係省庁の仕事始め直後であり、また自民党の仕事始め前で、組織的な拘束が弱い次期を明らかに狙ってる。ゆえに個人プレー。)

まあ、そう思いながらも、山崎拓訪朝が報道された日の2chの該当スレで、「仮に成果を出してしまった場合(一番は拉致被害者帰還)、左翼連中が「圧力より対話」と騒ぎ出すことは目に見えているな。」という様なことを言ったんですが、そしたらそれにレスがついていて、曰く「拉致問題は解決したという立場の北朝鮮がここで拉致被害者がまだいたことを認めれば、明らかに北朝鮮が不利に陥るだけだろう。日本の世論も、さらに対北朝鮮圧力を強める方向に動くだろうし。」。また別のレスでも「仮にそうなっても、明らかに圧力の結果だろ?」。

確かに一理あるし、その後、ブログとかでも似たような意見を見かける。なんだけれども、ここで重要なのはあくまで左翼連中がどう動くかなんだ。

そりゃ、極めて論理的に考えれば、「既に拉致問題は解決済みで我が国内にこれ以上拉致被害者はいない」と主張する北朝鮮が、金欲しさにここで「まだ拉致被害者がいました」と前言を翻せば、「他にもまだいるだろ?」「よほど圧力が堪えていると見える。」と言う結論が出るのは当然なんだが、そもそも北朝鮮のプロバガンダを鵜呑みにする、いや、北朝鮮のプロバガンダと化している左翼やもっと言うなら売国奴達が、そんなことを意に介すだろうか?(いや介さない。反語表現。)

確実に朝日やらTBSなんかの大手メディア、媚中派とかいや明らかに反日な日本の政治家とか、直属の朝鮮総連とかが「圧力路線より対話路線の方が効果がある!」と喧伝するだろう。

さらに最初の北朝鮮が拉致を認めた時、及び、5人が帰還した時を持ち出す人も要るが、これも感心しない。
この時はあくまで、「今まで拉致問題は無かった」という常識が覆された時であり、今回の想定する場合とは条件が全く違う。安易にこのときの事例を持ち出し当てはめるのは、無理やりすぎる。

その中において、国民が、世論がどう動くかについて「さらに北朝鮮感情が悪化する」と決め付けるのは、結構危険だと私は思う。別に拉致問題より今日の夕飯なんていう人はざらだし、そんな人は思考放棄してそういうプロバガンダを鵜呑みにするだろうし。

もっとも、対話路線が強まるかもしれないということは、逆に言えば保守派の予想通りに圧力路線が強まる可能性もあるということですが。まあ、確実にこうなるとはどちらの勢力も言いきれない状態。
当然、北朝鮮もそのどちらの可能性もあることは考慮しているだろうし、例え賭けにするには分が悪いと思っていたり、考慮自体して無くても、圧力が相当堪えているという状態において金欲しさに新たな拉致を認める可能性はある。
しかし北朝鮮の思惑は何であれ、その新たに拉致被害者を帰す決定をした瞬間、つまり山崎が成果を出した瞬間、日本の親北勢力がプロバガンダを行うだろう。


また、そういう次元の話以前の問題として、二元外交自体が害悪でしかない。成果を出そうと出さないとに関わらず、国論を二分させたり混乱させたりするだけ。当然、北朝鮮もそれを知っている上で相手国の二元外交を利用するだろう。
それで下手に成果出してしまえば、二元外交自体が肯定化されかねない。いや、されてしまうだろう。

さらにここで山崎が息を吹き返すようなことになれば、以後、昔は有力だったが今は中枢から追いやられているというような政治家が自己の功名心から二元外交を行おうとするというのもやはり目に見えている。
というよりも、今回の山崎の訪朝含めて日本で半ば勝手な二元外交がたびたび繰り返されるのは、前例があるからだろう。
ちょいとお土産もたしてもらった結果、「○○問題/○○外交の専門家」(○○は北朝鮮だけじゃなく、例えば中国でも良い。)と名乗りだし、以後、それ関連で国内での発言力が強くなった後で、「またお土産が欲しいなら、それ以上の土産をもってこない」なんて扱いされて、自縄自縛に陥る議員もいることだしね。


また、さらに別の観点から考えると、明らかに北朝鮮の狙いが見えているわけだから、日本政府としては乗るわけにはいかない。それもあって、安倍首相含めて日本政府の立場は、今回の山崎の行動に不快感を示すというコメントを残している。
そんな中で山崎が新たな拉致被害者を認めさせて、その返還の見返りなどを含めて準備を進めてしまった場合、その見返りがいかに馬鹿馬鹿しい、あるいは短期的に見ても長期的に見ても日本の国益に反すだろうとしても拒否し難い。
というのも、「安倍は普段、拉致被害者優先だといっているが、結局、拉致問題を政治の道具としか見てない」という言質を与えかねないからだ。つうか、これもまた、左翼メディア含めて、左翼ブログなんかが大合唱するだろう。

本当の意味での国益を取るか?それとも国益を害しても拉致被害者帰還を取るか?

将軍様による王手飛車取りの完成だ。そもそも、王手飛車取りにさせないことが重要で、王手飛車取りにさせた原因は何かといえば、言うまでも無く二元外交だろう。やはり二元外交は百害あって一利無し。


まあ、ともかく、私は山崎が成果を出してしまうことが何より恐ろしいし、ちょいと保守派は楽観視しすぎやしないかと思うところ。
[続き...]

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フセインの処刑に関して雑感
サダム・フセイン処刑。

別にフセインを擁護するつもりはないですが、今回の処刑に関して私はあまり良い気はしない。
それを説明しろといわれると、例えば「米国がそもそも原因」とか「宗派対立を招く」といった明確な理由があるわけでもなく、一言「なんとな~く」なんですけどね。(判決から4日のスピード処刑というのは問題だったかな。)

確かに、他国への侵攻や、独裁化、自国民への弾圧や虐殺というのは許されるべきものじゃない。が、それは日本や欧米みたいに健全に(?)中世を経た立場から言えることなんじゃないかなと考えてる。

日本や欧米だって歴史的にそういう強権的なのを経て現在に至ってる。言い換えれば、そういうのを経ずして現在の価値観を履行するのは難しく、ゆえにあえて人道という面を見ずに放っておけばそのうち何とかなるんじゃないかなー(楽観的)
現に東アジアだって日本を除けば、中世、封建制をすっ飛ばしたおかげで法治主義というのが今一根付いているとは言いきれないわけで。今年はタイでクーデターも起こりましたしね。
でも、そうやってクーデターとか強権的なことを繰り返していくうちに経験値がたまって現在の価値観に近づいていける。イラクの場合は、なんだかんだいってフセインは他の中東諸国と比べればかなり政教分離を進めていたというのは否定できない事実。

まあ、現在の価値観が最良と言うつもりもありませんけどね。タイのように賢明な王がいれば民主主義に勝るわけで。

もっとも、これも歴史。いかな理由があろうとも新体制が旧体制の指導者を処刑するなんて古今東西数え切れないほど繰り返されてきたことですし、それも含めてフセインという人間がいたという歴史は、イラクが現在の価値観へ近づくための経験値だったとも見れるし。

全ての独裁者を肯定化するつもりは毛頭ありませんよ。金正日とかとてもじゃないが肯定化できないし。
別に日本に害を成した(成している)からとか、嫌韓厨だからとかじゃなくて、金正日体制は朝鮮の近代化へ何も貢献してないから。バスティーユ監獄みたく民衆が一斉蜂起して革命でも起こせば、将軍様も役に立つんだけどさ、いかんせん民衆が歴史的に権力者にへつらう「へたれ」なせいでそんな気配は微塵もないし。(ちなみに"へたれ"云々は李氏朝鮮末期に半島を訪れた欧米人の冒険家も述べていることですから。)

つうか、そもそも金正日って独裁者というより、確かに独裁者に違いは無いんですが、王と呼ぶ方が近い気がする。時に金王朝なんて揶揄されるけど、事実として、李氏朝鮮とか清王朝とかと同じレベルなのではないかと。
日欧米の歴史から言えば、まだ中世以前。日本なら、平安時代。

そういう観点からすると、今の中国ってある意味、軍閥という封建時代時代で、もう少し内乱を繰り返せば、日本の明治レベルくらいにはなるんじゃないかなー

かなり脱線しました。

ともかく、フセインはこの先、中東の歴史において重要な地位を占める、偉大なとは言いませんが、重要な人物だったと思う。そんな人物が判決から4日で処刑されてしまったことは惜しいなと思う。が、処刑されるという終わりまで含めて歴史的に重要な出来事だったんだろうなー と何とも、納得しがたいというか、矛盾しているというか、昨日の「有頂天ホテル」が始まる前に脚本家の三谷さんが言っていた「大晦日の話なのに正月にやるという気持ち悪さ」みたいな感じがした。


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自民党復党問題に関して所見
■自民の幹事長と政調会長、復党問題でも対立  日経新聞

中川秀直幹事長は広島市の講演で「平沼赳夫さんは信念を通す政治家だ。わが党もまた信念を通す」と述べ、平沼氏の早期復党は困難との認識を強調した。


復党問題で考えるべきは「自民党のやり方に問題は無かったか?」(正確に言うなら、自民党の論理かな。)
まあ、問題があると言う人もいますが、私は何ら問題なかったと思ってます。(その理由はかつて述べました通り

とりあえず、自民党の言い分は筋が通っていた。
党として公約に掲げたことを認めずに反対し、しかも事前に「反対したら切る」と警告されていたのにも関わらず、反対して切られたんだから本望でしょう。

そして、その自分達が切られた事に関して「自分達が間違っていた」と認めれば復党を認めるというのも理にかなっている。それを「土下座しろと言っているに等しい」って、

土下座しろと言ってんだよ

まあ、この場合、「謝るという行為」を例えているのか、「信念を曲げろ」と例えているのか、細かい所まではわかりませんが、後者にしたって、あくまで信念を通すというならば、復党なんかしなければ良いじゃない。自民党の信念と自分達の信念が違うならば。

造反組にとっての最終目的って何なのでしょうかね。

自分の理念に向かって直進することは、それはそれで結構なことですが、現実は甘くない。時には、自分の考えを不本意ながら曲げなくてはいけないこともある。それが枝葉末節ならばどうってことないが(むしろ取るに足らない物ならば譲歩しちゃう方が良いんじゃないかな。)、自分の信念ともなるとそれは確かにキツイ。しかしながら、一時的に曲げておいて(曲げたふりをしておいて)その何らかの問題が過ぎ去ったら、また元に戻すってことも必要でしょう。(まあ、中には一度曲げたら、そのまま曲がったままにしちゃう人もいるわけですが。)偉人の伝記なんかだって、全て己の信念を貫徹した人はいない。時には譲歩したり、辛酸を舐めたりもする。

まあ、本当に「これだけは絶対に譲れない」というのがあるならば、この限りじゃないんですけどね。

そして、本題ですが造反組にとって郵政問題は、どの程度のレベルの問題だったんでしょうかね。「これだけは譲れない」というレベルの問題だったんでしょうか?

もし「絶対に譲れない」というレベルであるならば、「反対すればクビを切る」と警告された時点で自分から進んで辞めるべき。自分の「絶対に譲れない」ことが達成できないならば党員である意味が無い。そこで「絶対に譲れない物」を曲げたら、それこそ信念を安易に曲げる奴だろう。逆に絶対に譲れないというわけじゃない、というよりも「別に譲れない物がある」というならば、ここは辛酸を舐めてそれを目指すべき。

そして、何でもかんでも他者の評価を気にせず我を通すのは、信念を通しているんじゃなくて単に我がままを通しているだけ。


というか、そもそも、政局を見誤ったのが今回の発端なのですけどね。
「どうせ、口先だけで、反対したってクビを切るような真似できるわけがない」と、高をくくった結果がこれ。

見も蓋も無いことを言ってしまえば、絶対に譲れないというレベルの問題じゃなかったが、どうせペナルティは発生しないと踏んで譲歩をしなかった。本当ならば、反対することで廃案に帰し、党内での発言力を強くしようと画策しようとしていたのに失敗したと。

で、後に引けなくなったから、平沼氏みたいに高飛車な態度を取って「私に落ち度は無いから、党が間違っていたと認めるなら戻ろう」みたいなことを言い出すと。あくまで党が悪かったと認めさせなければ、結局、党内の発言力を強くするどころか取り戻すことができないもんね。

なら、なお更、復党のハードルは上げておくべきだろう。
ここで易々と復党させてしまえば「結果としては、やっぱり口先だけで終わった」ということになる。結局、似たようなことがこの先も起こるだろう。(そもそも、郵政解散以前に昔、口先だけで終わってしまった事例があったから、小泉首相の警告を軽く見ていたといえるわけですが。)

仮に復党するにせよ、とにかく最低でも造反組に「私達が間違っていた」と言わせないとダメだと考える。そういう意味で中川幹事長の主張は至極まっとうだろう。

あくまで仮の話で、私は復党反対ですけどね。(正確に言うならば、"一括"復党反対ですが。)



あと少々気になったこと。

 一方、昨年まで平沼氏らと同じ派閥に所属していた中川昭一政調会長は岐阜市の講演で「総括しろとか、反省しろというと天安門事件を思い出す。政治は最後には情というものがある」と、中川秀直幹事長が誓約書の提出などを求めていることを非難した。


政治の情つうのは、ルールで決まっていても、それが道理に合わないような時に"民"を助ける奴を"政治の情"と言うんでしょうに。いわゆる大岡裁きみたいな。

政治家同士の情は「政治の情」というより、単なる馴れ合い。そして今回の復党云々は道理に合わないからなお更、単なる馴れ合いとしか言いようが無い。
最終的に国民の納得を得れるかどうかという点で論じるべきであって、「敵に情けを掛けるべきだ」とは、その方が人気が取れるとでも思ってんだろうか。

それにしてもこの件では個人的に意外なことが。中川政調会長よりも中川幹事長の方が復党に甘いような感じがしてたから、ちょっと驚き。
日本でアニメが発達したのは九条のおかげなんじゃないかという考察
最近、中韓で「日本アニメに文化侵略を受けている!」という記事をよく目にする。
中国の方では、日本アニメの放映を禁止した上で「7年の年月をかけて作った抗日アニメを放映するアル!」と意気込んでる。(あとなんか、自称アニメの権威である中国の教授が自説を展開したら、中国のオタクに滅茶苦茶に叩かれたらしい。)

で、韓国の方は、「ウリナラに創作能力が無いのは出資者がいないためニダ!」と言い訳してるし。金があれば創作意欲が沸いて日本に追いつけるってか。

まあ、何にしても日本アニメというのは、影響力が大きい。これは確かな事実。

実は、私は日本がアニメ(あるいは特撮)を発達させたのは、憲法九条のおかげじゃないかと思ってる。まあ、何の脈絡も無くこんなこと言うと誤解を受けそうだけど。(つうか、確実に受ける。)

というのも、実のところ、戦争とか兵隊って、もっと端的に言えば「戦い」って、現実がどうのこうの関係無しに人気がある。別に戦車や戦闘機イメージしなくとも、例えば「戦国時代」や「ヤクザの抗争」とかね。
平和主義者の人には受け入れがたい事実かもしれないが、やはり闘争とは人間の本質的なところだと思う。

ゆえに、ほぼ世界のどこの例外も無く「戦争映画」だとか、自国の軍隊を扱った作品は存在する。

ところがだ。
日本は憲法九条のおかげで現実関係なしに、ちょっと「軍隊」だの「戦争」だの持ち出せば、右翼だなんだとレッテルを張られて、社会的抹殺を受けてきた。それが反戦のプロバガンダを持たない、逆に好戦意欲を煽る主旨でもない、単純に「闘争」を描いた作品でもだ。

そういう言論封殺が行われている中でアニメは違った。何故なら、アニメは「しょせん子供の見るもの」と馬鹿にして、当然、自称インテリの左巻きの人間は見向きもしなかった。だから、アニメはかなり自由な表現の場を得ていた。

それも、視聴者に政治的プロバガンダを発するというわけじゃなく、ただ純粋に娯楽としての「闘争」を提供した。「起動戦士ガンダム」とか「宇宙戦艦ヤマト」とか。
実際、もしも、サヨクが他と同様にアニメに対しても言論封殺を行っていれば、「宇宙戦艦ヤマト」なんか絶対無理でしょう。

さらに、こういう題材というのは、何も幼い子限定じゃない。中高生辺りが見たって良い。

アメリカとか他の国なら、別にアニメーションにしなくたって良い。いくらでも実写という映画で表現できる。だから、外国ではアニメが、あくまで「子供向け」の域を出れなかった。

また、かなり昔の韓国の記事で非常に面白い指摘をしていたが、日本のアニメやマンガには何かと日本文化を主張する表現が多いんだと。基本的にマンガというのは、特に登場人物は中立的に描かれる。金髪・茶髪はおろか、緑や青、ピンクの髪に、これまた、色々な色の瞳の色とか「これは何人だ!」とははっきり断定できない場合が多い。まあ、確かにこれだけならば、日本と断定できないんだけど、何かしら日本と思い浮かべるようなアイテムが出てくると。あるいは、あくまで日本が主体とか。
確かにディズニー映画辺りなんか思い浮かべると確かに米国のみを表すようなのは少ないような気がしないでもない。

まあ、その辺は個人の感覚だし、しょせん韓国の見方ですから、完全に鵜呑みにこそしませんが、そういえば「宇宙戦艦ヤマト」って、地球の危機なのに何故か「搭乗員は日本人だけ」とか考えると、あながち的外れな指摘でもないと私は思うんですけどね。

それで、あくまでそれらの根幹は娯楽としての「闘争」を提供しているだけであって、政治的なメッセージを載せているわけじゃない。戦争は酷い物だとわからせるために戦争を題材にするわけじゃない。あくまで純粋に娯楽として提供したからこそ発展した。

だからね、例えば嫌韓流のような始めから政治目的に描かれた場合を除いて、あくまで娯楽として作られたはずのアニメとかマンガに政治的メッセージを載せるようになったら、その時、アニメとしてお仕舞いだと私は思う。

娯楽のために作られた作品より、政治目的の作品の方が面白いなんてわけがない。

だから、中韓の言うところの、「文化侵略に対抗する」だの「抗日アニメを増やす」だの、そんな陳腐な目的のアニメで、日本のアニメに勝つのは難しいし、世界的に共通してオタクの底力って結構バカにできないから、そこから案外中韓に綻びが発生したりして。

また、結果としてなぜ軍隊が必要なのかという話で「抑止力」とかで説明しても、平和主義者は理解できないように、(萌え系じゃない)アニメオタクの方がよっぽど、平和主義者より「平和と戦争」を理解していると思いますよ。

とまあ、アニメなんかあまり見ない人間の考察ですけどね。(ここ数年でまともに見たアニメって「鋼の錬金術師」と「BLOOD+」くらいか。「BLOOD+」はロシア編辺りから、見るの疲れたけど。)


追記:
ちょっと書き忘れたので追記すると、単に「闘争」を扱うというのであれば、最初に書いたように「ヤクザ物」や「歴史物」があるが、これらは国家間の対立というところには関連が無い。(まあ、戦国時代は厳密に言えば国家間の対立だけど。ただ、現在の一般の感覚からすれば、同一上にある者同士の戦い。)ヤクザの戦いは「抗争」であって「戦争」ではない。歴史者は「戦争」であっても、通常にイメージする「戦争」とは遠い。

だけど、その後に述べた「起動戦士ガンダム」だとか「宇宙戦艦ヤマト」というのは、まさに戦争だ。 そこが、同じ「闘争」でも、戦争を娯楽として扱うという意味で、「ヤクザ物」や「歴史物」とは一線を画すと考えてる。

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オーマイニュースについての考察
オーマイニュース日本版が登場して3日経過しましたが、まあ、予想通りってところですかね。ジャーナリストが関わっているだけPJニュースよりいくらかマシ。もっともそのジャーナリストってのがサヨクなんだけど。

まあ、思想信条的なものはほっといてオーマイニュースのような形態の物に対する考察・・・
なんだけど、このブログ始めたばっかりの時にPJニュースについての感想を書いた。で、全く考えが変わってない。
つうか、そこで指摘したこと、まんまオーマイニュースに当てはまるし。

というわけで、その時書いた奴を多少整理した文章。
そもそも、一般記者に対する市民記者の強みって何?
すると真っ先に思い浮かぶのは「組織に縛られないこと」。これは確かに一般記者に対する強みになるかもしれない。しかしだ、、
朝鮮総連や暴力団事務所とか、或いは解同や創価といった一般のマスメディアでは絶対に踏み込まない聖域に踏み込むのか?
或いは、一般のマスメディアが報じない問題の本質などを指摘するのか?

前者はもはや論外。絶対にありえない。現にそんな記事1つも無い!
そして、後者の問題の本質の指摘は一見するとまともに見えるかもしれない。が、そんなの普通のサイトやブログで出来るでしょ。

そもそも問題点の指摘というのは報道ではない。それは論説や解説であってニュースではない。
新聞の役目として問題点を判りやすく読者に伝えるというのはあるが、それはその前提として「その元の情報を伝えてるから」という役目があるからで、それが無くて単に論説に終始するのであれば、そんなの週刊文春とか新潮の領域だ。言うまでも無く週刊誌はニュースとは呼べない。第一、記事と呼べる物の分量と論説と呼べる物の分量は違う。

その典型的な例としては、PJニュースで「モスクワオリンピックボイコットの真実」とか何とかそんな記事を、馬鹿みたいに100を超える連載していた記者いましたけどねぇ。その内容が正しかろうが誤っていようが、もはやニュースじゃねえ。完全な一個人の落書帳。

で、先に述べたように、そういうことは、普通に個人サイトやブログで十分に可能。
既に電突してその結果を報告している人たちや、メディアの二次情報から、問題の本質をさらったり、メディアの虚偽部分を見つけ出したり人たちが一定の成功を収めているように。(むろん、万事が万事成功しているとは言いませんよ。)

別に「記者」のみが情報を伝えられるという時代じゃないだろう。
情報化社会だからこそ、今まで情報の供給源が限られていたのが、一般人にももたらされることになった。下手に「記者」に拘る必要なんてない。

そういう意味で、実はPJニュースとかオーマイニュースとかって時代に先駆けてるどころか、時代を逆行しているんじゃないかと思う。あくまで「ニュース」という体裁をとって「記者」という肩書きを持っても、本物に敵うわけでもなく、情報化社会として台頭した個人サイトやブログに比べて特別秀でているわけでもなく。


まあ、一年以上前にPJについて書いたエントリーは、これ以外にも、色々と書いたけど、まあ、とりあえずこれでいいか。

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亀田興毅のこないだの試合に関する所見
非暴力平和主義者は人の殴り合いなんて見るに耐えないのでボクシングを始めプロレスやK1とか格闘技を見ません。

アクション映画なんかでも、終始銃撃戦というよりは、最後は必ずと言っても良いほど、汗や血、汚れにまみれてのガチンコ対決だし。ああいうの見ててあまり良く感じませんね。演出として生々しいのが良いのかもしれないけど、私は銃で手っ取り早くやって欲しいなぁ。スティーブン・セガールくらい鮮やかだとまた話は別ですけどね。

脱線しました。そして矛盾しました。
なので、当然おとといの試合も見てませんが、その後の流れを知ると相当酷かったみたいですね。

まあ、興味ない、試合見てない。と言っても、家が新聞でスポニチを取っているので試合前に亀田がキューピー人形送って挑発したら、相手におしゃぶりとオムツで返されて逆ギレしたとかは一面で報じられていたので知ってましたけどね。(この挑発の返し方は良かったなぁ。こういうの大好き。)

まあ、もといアンチ亀田のように亀田自身が好かないからより良く感じたのかもしれませんが。ボクシング関係無しにああいう人間は好かない。別に暴力的な人間が嫌だというわけでもないですが。現に「やしきたかじん」や「ビートたけし」の武勇伝とか好きだし。
まあ、しょせん亀田のはパフォーマンスだし、パフォーマンスだとしてもチンピラ。 あれでカッコいいとかキャーキャー言われてるのだから、世の中わからないものですね。

そもそもね、努力家だなんだ言われてますが、それは他のボクサーと比較して成り立つことでしょうに。それをTBSの密着取材とかで、亀田一家のみクローズアップされてるから、亀田は人一倍努力家だという風に見えるんじゃないの?(本当に努力家だったら、バラエティー番組に出る時間も惜しむと思いますがね。また、実際のボクサーって収入が少ないからバイトとしかして生計を立ててかなりつらい生活を送っているらしいですが、亀田の場合には父親がボクサー関係者なのとマスコミがスポンサーについてるのを考えると、あまり凄いとは思わないですけどね。)

と、また脱線。
今回のエントリーはあくまでおとといの試合に関してですね。

最初にも述べたように格闘技自体興味無いし、実際に試合を見てないので「あれは八百長くさい」とか言うつもりは無いし、つうか、それを述べるためのエントリーでもない。ってかむしろ「八百長でも面白ければいいんじゃね?」というタイプの人間なので八百長疑惑云々は本当にどうでもいい。

あの物言いからアンチも相当数いても、いやアンチがいることも含めての亀田の人気というのは、低迷しているボクシング界に救世主ともいえる存在だとか。

まあ、瞬間視聴率が50%超えるくらいだから、悪名だろうがなんだろうが、スポンサーのTBSや興行主にとっては問題ないのだろう。

しょせん興行。しょせん見世物。しょせん亀田はパフォーマーで、単なる客寄せパンダ。
今までだって世界ランク上げるために、かなり怪しい試合を行ってきたくらいなんだから、八百長だなんて何を今さらという気さえ起こる。

さて、八百長であっても、面白ければいいんじゃない?と言いましたが、逆に言えば「八百長であり、かつ面白くない」は相当問題だということ。

つまるところ、亀田の勝利に関して、会場に詰め掛けた人ですら「えー」なんて言っているくらいならば、これは見世物として失格だったということだ。

そもそも、亀田が人気があるのは亀田が勝利し続けているからじゃない。TBSの密着取材により、それが本物であれ演出であれ、その亀田一家に視聴者が触れることで共感が生まれ、人気があったわけだ。

それが、誰しもが負けだろうと思った展開の試合に判定勝ちという微妙な勝ち方をしたもんだから、当然荒れる。誰も亀田が勝つという「結果」のために応援しているのではなくて、その勝利を呼び込むための「過程」に共感して応援しているんだからさ。その辺りをTBSを始めとする黒幕は勘違いしていたみたいだな。

だから、「試合に勝って勝負に負ける」なんて言葉が良く似合う。

興行として、見世物として、国民的人気を得るという思惑からするならば、あの試合は負けておくべきだった。賢い稼ぎ方としては、「復讐に燃える男」として宣伝して、リベンジマッチでさらに荒稼ぎしておくべきだったな。

こりゃ、明らかにTBSや亀田一家の失策だ。
ただでさえアウトロー路線は綱渡り。成功している限りにおいては問題ないが、失敗した場合のリスクは大きい。

しかも、そのアウトロー路線にしても、中途半端で単なる「チンピラ」

本当にアウトロー気取るなら、「言いたい奴には言わせておけばいい」じゃなくて「こんな勝ち方で手に入れたベルトは汚名に過ぎないから返上する」くらいのことを言ってみろよ。
たとえパフォーマンスでもその方が見世物になるからさ!


追伸:
「八百長だという人はボクシングを知らない奴だ、たとえダウンし、その後フラフラでちょこちょこ手を出す程度でも、勝つことはある」と言う人(つうか、亀田興毅も言っていたが。)もいるけど、それについても、興行的にまずいといえる。

結局、見てくれる人が理不尽だと思うようなルールという時点で見世物として失格。

勝つために、姑息だが合法な手を使うというのはありだろう。(むしろ、俺なら絶対にそれをやる。)
だが、それで人気が得られるかといえば、それは別の話。

何にせよ、勝てば人気が上がると勘違いしたゆえの結果だろう。
[続き...]

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